Twitterの身内垢のみ復活しました

詳細は日記に書いてきたので割愛するけれど、ここのところ心身ともに調子を崩すことが多くて、おまけに実家との関係がさらに難しい局面に立たされてしまったこともあり、友人とゆるくつながっていないと、心身のバランスを崩しそうだったので、Twitterの身内垢のみ復活させた。雨伽詩音名義のアカウントはもう消滅してしまったし、復活させる予定はない。

aniron.hatenablog.com

身内垢だと愚痴っぽくなってしまうのが目下の悩みで、そういう自分に自己嫌悪を抱いていたのだけれど、ここ最近関心のあるコスメの話題や、友人たちが関心を持ってくれている主人とののろけ話、創作の日々の報告などをメインにしたところ、病みツイートの割合は少しずつ少なくなってきつつある。

そうしたこともあってか、時々友人たちとやりとりをすると、互いに気にかけ合っているのだなということが再確認できるし、雨伽詩音名義のアカウントではつらかったさまざまな人の目線も、身内垢ならば幾らか安心できて、私にとってはちょうどいいバランスなのだろうなと思う。

妙な気負いが抜けたというのも一つの効用で、写真は美しく撮らなければとか、逐一本の写真を載せなければとか、読んだ本について毎回言葉を割いてツイートしなければという強迫観念めいたものもなくなった。

気が向けば書影を載せるし、感想も載せるけれど、気乗りしなければあえて紹介しなくてもいい。読書アカウントではないし、創作で必ず成果を出して、コンスタントに活動報告をしなければならないというものでもないから、身内垢は気楽で私には合っているのだろうと思う。

自撮りもそこそこ載せるけれど、今の不穏なご時世、なかなか表には出しづらいので、そういう時にも身内垢の存在は助かっている。

元々いいねの数を気にするタイプではないし、むしろいいねに人の視線を感じて不安な気持ちになることが多かったから、気が向いたらその時々で話すけれども、後はお互いスルーという空気感がちょうどいい。

賞レースだの、どこそこに投稿して掲載されただのといった自己顕示欲のしのぎの削り合いや、書影や著者名で殴り合いをするだけの不毛な環境から抜け出して、のんびり気ままにクローズドな形でTwitterと付き合うというのが今の私には合っているのだと思う。

Twitterがなければ集客力が落ちるのではないかとか、宣伝ができなくなるのではないかという危惧はあったけれども、Twitterから購買行動へと結びつくということがまずなかった弱小サークルの身としては、むしろTwitterは創作上の不要な妬みを買うだけの至極迷惑な存在だったのかもしれない。

身内垢にもそれぞれ性質があると思うのだけれど、私の身内垢は付かず離れず基本スルーが原則になっているので、呟きたい時に好きなように呟いている。別に自分のツイートを誰も見ていなくても構わないし、私にとってはアウトプットの場がありさえすれば、それで十分なのだ。

いわば学生時代の部室の延長としてTwitterを使っていて、そこでは何を語ってもいいし、語らなくてもいい。ただ適度にいい距離感を保っておくことが何よりも大切なのだと思う。

そういう点では身内垢のメンバーには心から感謝しているし、Twitterの人間関係で悩んでいる人は何かと多いと思うけれど、どのみちやめるにやめられないのがSNSというものだから、その都度自分にとって心地よい距離感を作ったり、あるいは鍵垢を活用するなどして、できるだけ有象無象の煩わしい声を遮断するに越したことはないのだろうと思う。