うつとインプット

うつになってから、何かにハマることが怖くなって、それまで好きだった小説をはじめとして、インプットに夢中になるということを遠ざけていた気がする。

そういう風にインプットすることを封じようとして、結果的にアウトプットの質が下がるのを抑えられず、その自己嫌悪で疲弊してまたインプットができなくなるということの悪循環に陥っていた。

何かにハマるということが、なんだか動物的なように思えたのだった。

それは具体的に云うと私が生理的に苦手とする猿なのだけれど、猿のようにハマるということがいかにも人間的な理性をないがしろにしているように思えてならず、そのもはや言語化しがたい嫌悪感に苛まれて、インプットがうまくできなくなり、同時に身体にインプットすること、すなわち食べることもうまくできなくなった。おかげで2kg体重が落ちた。

それでもそれだけ忌避してしまいたくなるほど、私はひとつのことに夢中になってしまうのはたしかなことで、今ならばその例としてポケモンソードが挙げられる。

snowrabbit21.hatenablog.jp

主人とともにプレイしているということもあって、自分の意思だけにとどまらずにプレイすることも多いのだけれど、それでもポケモンソードをプレイして、何かにハマるということは、そんなに悪いことではないのかもしれないとようやく思い至った。

 

私はひとつのことを深堀りするタイプの人間なので、これまで大学で記紀神話を専攻していた影響もあって、大学を出てからも公開講座へ足を運んだり、それが叶わなくなってからも自分なりに独学で勉強をつづけてきた。

コンスタントにつづけられているというわけではなく、書店などで気になるタイトルがあればひとまず買って読むというライトなスタイルで勉強をつづけている。

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それでも勉強というものはやはりどこかで夢中にならなければ一向に面白くない。

思い返せば学生時代は勉強することが楽しくてしょうがなかったし、心理検査でも「あなたは知的なことと芸術が好きなようですね」と云われたことがある。

そういう知的好奇心を殺すことに苦心していたのかと思うと、我ながら情けない気持ちになってくる。

周囲を見渡してみても、同じ30代でも知的好奇心にあふれている人は活力に満ち、知的好奇心を失っている人は老人のように生きている。

自分のあり方を今一度問い直すとともに、改めて知的好奇心の灯火を灯したい。

Twitterを離れたことが良かったのかどうか、今はまだわからないけれど、それでも離れたからにはその分自由だ。

詩歌を作るにも、ブログを書きつづけるにも、知的好奇心に基づいたインプットは大切な資源となる。

気づかぬうちに自分に「あれはダメ、これもダメ」とブレーキをかけすぎていて、そうして好奇心もだんだん弱火になっていたのかもしれない。

何かに夢中になるということをもっと前向きに捉えて、さらなる飛躍を目指したい。