それでも地獄に立つ
ここ数日、日記でもっぱら思想について語っていて、創作よりもそちらに熱を傾けすぎてしまい、まったく創作ができていなかった。
このままではよろしくないと思い、ふと自作のBANANA FISHのプレイリストを聴きながら家事をしていると、思想に拠って自己が肥大化してはいけない、それでもなお地獄に立っていなければならないと強く思った。
私は思想を振りかざしたいわけではなく、ひとりの創作者でありたい。
BANANA FISHはただただ作者がアッシュとともに地獄に立ち続けようとする強い姿勢を感じた作品だし、私自身のトラウマを抉り抜くものだったから、なかなか漫画原作まで読めずにいるのだけれど、アニメ版は完走した。
アッシュというキャラクターについてはこれまでも各所で語ってきたから重複は避けるけれど、あの物語が成立し得たのは、アッシュが悲しみを背負いつづけたキャラクターだったからだし、オンラインサロン“「私」物語化計画”でも再三にわたって創作において悲しみを掘り下げて描くことの重要性を説いていただいている。
自己救済の道としての小説や創作を信じているのなら、その悲しみと向き合いつづけなければならない。険しい道のりだけれど、その悲哀に共感してくれる人は必ずどこかにいると信じるしかない。
私はそうして日記を書きつづけてきたはずだし、そのスタンスが今思想によって脅かされようとしていると云っていいのかもしれない。
創作ができなくなった要因をさまざまにあげつらって、それらを批判したところで何ら生産性はないし、ひとえに自分自身と向き合うことでしか創作物は生まれてこないのだから、今一度原点に立ち返って、悲しみと対峙しなければならない。
プロを目指すとか、目指さないとかはさておき、創作をつづけるのであれば、ここから目を背けてはならない。
そういうことを皿洗いをしながら考えていて、洗い終えてから詩を書いた。
ここ最近書いたものの中ではまあまあの出来だったので、推敲をしてココア共和国に投稿した。
結果が出るかどうかは分からないけれど、ここを起点に再出発をしたい。
短歌もここのところ全く詠めていなかったけれど、あくまでも地獄に立つという覚悟があれば、きっとまた詠めるはずだ。
これを機にまた励んでいきたい。
それから非公開の詩が溜まってきたので、そろそろまた折本を作ろうかと思っている。
既刊の散文詩集の折本はすでにひとつアップしているけれど、これにつづく第二弾を作りたい。
ちょこっと文芸福岡に出展する予定だった折本詩集です。 夜を歌った詩を四篇収録しています。
細部を検分する間もなく闇は濃くなり、男の、女の、あるいはそのどちらでもない声が満ちた密室に閉ざされたまま炎に包まれて、ちいさな球体を抱えてうずくまったまま、はるか遠くから聞こえてくる無声の音楽に耳をすませる。 ——「夜の音楽」より
またいずれ折本に収めた詩や、カクヨムで公開している詩の中からKDPで詩集を編みたいと思っている。既刊は以下の二冊。
罪人の冠を頭にいただき、人の子を惑わしたすべての女の恨みを纏って、私は消えてゆく。
嘉村詩穂の個人詩集。 個人サイト「紫水宮」と主宰している文芸サークルかもめのweb文芸誌「かもめソング」に発表した詩に、書き下ろしを加えた散文詩集です。
耽美主義を掲げ、表題作となった「挽歌」を中心に、主に和風・東洋風の幻想的な詩を収録しています。
-収録作品-
マディソン
鴎
逝春(せいしゅん)
よみひとしらず
或神話研究者の最期
挽歌
或楽師の書簡
緋鯉抄
調香師の終末
秋菊
夕波千鳥
秘仏
雪女郎
墨色の使徒
耽美主義を掲げ、SF・中華幻想・仏教、そして著者のふるさとへの憧憬をテーマとした、第二散文詩集です。
以下の十編の詩を収めています。
-収録作品-
青磁の爪
白狐譚
鶯姫
エリザベート・バートリの末裔
いにしえのうた
最後の手紙
人体標本
真珠姫の恋
補陀落渡り
地獄の白百合
おかげさまでぽつぽつと読んでいただいているようなので、これにつづく作品が作れればと思っている。