【深夜の文章キャス】作歌再開
累計600首に到達し、短歌を投稿してから300首になったので、選歌をした。
そのうち選んだのはいずれも「弱い『私』」を歌ったものだった。
結局のところ短歌というものは私にとっては「私」から離れることはできないものなのだろうと思う。
いくら信仰や思想を詠もうとしても、内心の揺らぎを詠むことはできても、イデオロギーを前提とした短歌は作れそうにない。
信仰を神道という基軸に置くのであれば、神道の神々を詠んだ歌も作りたいと思っていたし、古典詩歌はそうした作品も多いから、自分もその系譜を継ぎたいと思っていた。
それでも神道が国家神道を未だ克服できておらず、自分自身の信仰をそのままの形で表現することの困難さにぶつかってしまい、ここのところまったく作歌できていなかった。
日記にはその試行錯誤の一部を載せているけれど、ここには貼らないでおく。
あくまでも「弱い『私』」に立脚するからこそ、他者に開かれた『私』が提示できるのだと現時点では考えている。また日を改めれば考えは変わるかもしれないけれど。
それでも信仰や思想といったものから少し距離を置いて、自身を見つめたときに、そこにはいかにも弱く、頼りない自分がいて、そこから目を背けることは決してできないし、他者を表現することはできなくとも、自分の言葉で自分の病や闘病を語る他に、他者に心を開くすべはないのだろうと思う。
病を詠むという出発点に今一度立ち返り、そうして歌集を評価していただけているのだから、それを誇りに前に進みたい。
療養短歌をテーマに詠んだ、短歌30首を収めた折本歌集のPDFです。 失われた恋への挽歌、過ぎ去った夏へのノスタルジーをサブテーマとし、ダークでゴシック、耽美な作風を志向しています。
世の終わり詩神は死せず海の果てきみとふたたび巡り逢うまで
AnthemはCoccoだったね沈黙を守ってふたり白百合の園
ちょこっと文芸福岡に出展する予定だった歌集の折本です。 ゴシックな雰囲気が香る療養短歌30首を収めています。
青薔薇の冠授けよとこしえに無数の棘は言葉となれり
三冊目の折本も作れるように今後とも励んでいきたいし、ゆくゆくはこの折本に収めたものも含めて、KDPで歌集を作りたい。
ちょこっと文芸福岡に出展する予定だった折本詩集です。 夜を歌った詩を四篇収録しています。
細部を検分する間もなく闇は濃くなり、男の、女の、あるいはそのどちらでもない声が満ちた密室に閉ざされたまま炎に包まれて、ちいさな球体を抱えてうずくまったまま、はるか遠くから聞こえてくる無声の音楽に耳をすませる。 ——「夜の音楽」より
作詩の方もまだまだ励まねばならないし、絶望にうちひしがれる夜を越えさせてくれたのは詩に他ならなかったから、今後ともインプットに励むとともに、詩を書きつづけたい。