【深夜の文章キャス】詩と性愛と具象という魂と
朝に一編の題詠詩歌の詩を書いて、偽ドキドキ文芸部!のDiscordとカクヨムに投稿した。
これは吉本隆明の云うところの対幻想から生まれた詩人「ポエトリー・ポワレ」という創作キャラクターの詩をベースに作ったもので、彼の詩はもっと牧歌的で優しいのだけれど、自分に限りなく引き寄せて書いた。
一時期は性愛を歌った詩をよく書いていたことを思い出す。
私の詩の原点には性愛があって、それが失われてしまうことが恐ろしいという気持ちと、このまま性愛から解き放たれて自由になりたいという気持ちとがないまぜになった日々を送っている。
鏡花は恋愛至上主義の作品を作りつづけた。それは家父長制的な結婚というものが恋愛を粉々に破壊することへの憤りから生まれたもので、後述するように、そこには必然性があった。
私にとって性愛の必然性はどこにあるのだろうと思いつつ、どうしようもない私自身の哀しみを歌う上で、やはり欠かすことのできないものなのだということを改めて思い知った。
上に書いた「ポエトリー・ポワレ」は男性で、同性の「プラトニック・プルール」という哲学学徒とプラトニックな恋愛をしている。浜辺の家にふたりで住んでいて、日々議論を交わし、手をつないで浜辺を歩く。食事を共にするけれど、それきりで、ふたりとも別々のベッドで眠る。
そういう関係性を必要とするのも私が性愛に著しく傷ついてきたからに他ならないのだけれど、だからといって性愛を頭ごなしにまったく完膚抜きまでに否定することもまた難しい。
そういう葛藤があって、BLからは距離を置いたのだけれど、ここのところ商業BLを読むようになった。
結局のところ私は傷ついた性愛の記憶を、できるだけ美しい愛の物語で癒したいのだろう。
ちなみにこれは同性愛の詩ではなく、あくまでも異性愛として書いたけれど、読み手の自由な解釈に委ねたい。
何の話だ。
ここのところ読書意欲が落ちていて、まったく本を読めていなかったので、今日は久しぶりに活字に触れて心が癒された。
特集の「抽象VS.具象」がとても良かった。私はやはり具象に端を発しない短歌というものは、どこかで頭打ちになると思っていて、文学というものが必然性を抜きにして成立しえないのだとしたら、短歌における具象はその必然性、いわば作品の魂に他ならないと信じている。
葛原妙子も、そして塚本邦雄も、具象を抜きにしては成立し得なかったというところに希望を抱けた。
また掲載されている短歌では特に横山未来子が良かった。彼女の歌集は以前主人にプレゼントしてもらったので再読したい。
短歌だけなく、昨夜の定例会で話していても、やはり具象から離れすぎた詩は、魂が宿っていないように私には思える。
もともと私自身そういう耽美派な詩歌を作ってきたから、これは自己批判も兼ねているのだけれど、具象なき抽象は存在しえないのだということをこの特集を読んで実感した。
作品が作品として命を持つためには、やはり具象が必要で、具象なき抽象は好悪という価値判断以外に評価の基軸を持ち得ないのではないかと思うのだ。
かつての私の詩がTwitterの一部の人に評価していただいていたのも、結局好悪という価値判断以上のものを持ち得なかったからなのだろうと今は客観視している。
私にとってその過程は今に至るきっかけとなったし、必要なものではあったけれど、やはりそこから脱しなければ命のある詩歌は生み出せないのだと強く感じる。
ここからさらなる進化を求めていきたい。
昨夜詩型の話を聞けたのは有意義だと感じたし、新たな試みとして自由詩も書いてみたいと思ったことは先にも書いた。
そのためにも引き続き勉強をつづけねばならないし、実作を通じて模索をつづけていきたい。
サークルの主宰者・柿内午後さんが佳作に選ばれた『月刊ココア共和国 2021年8月号』を読んで、改めて詩の自由さを感じられたのも有意義だったし、投稿もした。
『ココア共和国』2021年8月投稿詩傑作集Ⅱまで #読了 篠崎亜猫「雨の日の詩情」、岩佐聡「仮形成」、片野翠子「もうどうでもいいわ」、林やは「羊水の春」が素晴らしい。詩の自由さと、本質を感じた作品の数々で、詩を読む喜びを与えてくれたものばかりだった。詩作の励みになるなと感じた。
— 雨伽詩音 (@poesy_rain) 2021年7月28日
結果がすぐに出るとは思えないけれど、それでもこうして日々励みを得ながら詩を書いたり短歌を詠んだりしていきたい。