さらなるTwitter疲れと創作意欲の減退と

オリンピック反対を声高に叫んでいたTwitterが、あっという間に開会式の一件で手のひらを返したことに対して、深い失望と幻滅を感じ、ほとんどTLを観なくなった。

そのこととはこちらの記事に書いたから繰り返さないけれど、それにしても一体私は何を信じればいいんだろう、という気持ちになってしまう。

aniron.hatenablog.com

創作意欲も、それに比例するようにここ一、二週間ほど減退していて、そもそもの発端はルックバックに対するセンセーショナルなアンチテーゼを散見したことだったのだけれど、その動向をTwitterで見かけるのもうんざりしていた。

evie-11.hatenablog.com

Twitterから離れたいと思いつつ、なかなか叶わずにいる。TLはほとんど観ていないのだけれど、Twitterへの投稿はしたくなる。

やはり軸足をブログに置くのが正解なのだろう。

身内アカウントはこれまで同様に運用するけれど、オリンピック期間中は投稿はしたとしても、雨伽詩音名義のアカウントのTLはほぼ観ないと思う。

創作意欲にまで累が及ぶとなると、これは由々しき問題で、できるだけ遠ざけておきたい。疲れがいっそう募るばかりだ。

テレビはyoutubeやprime video以外は観ないようにしたい。

本当は完全にTwitterとの関係を絶ってしまいたいけれど、これまでの経験上、無理なことは分かっているので、せめて使い方を見直したい。

創作意欲はまだしばらく落ちたままだろうし、無理に上げようと焦ってもどうしようもないのかもしれない。

公募への投稿ありきで詩を書き、短歌を詠んでもうまくいかないだろうし、そういう時期もあると思ってやり過ごすか、それでも作歌や作詩をつづけるのか。

 

目下の目標は投稿もあるけれど、それ以上に短歌の折本を作ることにある。

ブログに軸足を移す以上、宣伝もままならないかもしれないけれど、それでも私が欲しいのはインスタントな評価ではない。少数の読者の方でいいから作品を届けるということだ。

村上春樹はたとえ言葉を直接的に交わさなくとも、読者とつながっているのだという実感が何よりも大切なのだということを『職業としての小説家』の中で書いていた。

 折本という形で読者の方々とつながることができれば幸いだなと思う。

有償(100円を予定)での頒布になるので、どの程度読者の方に届くかはわからないけれど、新たな試みとしてはいいのかもしれない。

そうして自分に少しでも励みになる要素がなければ到底がんばれそうにない。

いずれはKDPで、散文詩集につづいて歌集を作りたいと思っている。

先日俵万智『かぜのてのひら』を読んで、改めて歌集はいいなと思ったので、300〜400首ほど選んだ短歌が集まったら歌集を編みたい。

解説にもあったように、彼女の短歌は終始軽やかだ。さりげない日常の景色や、繊細な恋心を詠みこみながらも、その歌ぶりはどこか冷めたところがあると感じる。
自分自身から少し距離を取らなければこういう歌はなかなか生まれないのだろう。それだけにこうして短歌史に残る作品として結実したのだろうと感じた。
出てくるモティーフはSNS時代以前、ネット興隆以前とあって、やはりどこかアナログで、それだけにノスタルジーを感じさせる。
ひとつの時代を閉じこめた、美しいガラス瓶のような歌集だと思った。

まだまだ歌集を編むにはずいぶんとかかりそうだけれど、それでも私はやはり歌人としてのアイデンティティを大事にしたいし、今後とも歌誌を読んだり歌集を読んだりして、自分のモチベーションを少しでも上げていきたい。