4度目の緊急事態宣言と、ひとりの図書館利用者が思うこと

4度目の緊急事態宣言が発出された。

この一年強というものの、何度死を想ったかわからない。

私は飲食店には関わりを持っていないし、主人の収入も減ってはいない。持病があってそもそもひとりで都心まで行くことは難しいし、もともとひきこもりがちで、できるだけ家にいたいタイプなので、ずっと自粛生活を送ってきた。

出かけても郊外近郊がほとんどで、都心には出ていない。

 

それでも、そんな私でさえこの月日はとてもつらかった。

社会の空気が緊迫しているのを肌身に感じているし、緊急事態宣言が発出されるたびに図書館のことが気がかりになって、眠れない夜を過ごしてきた。

図書館はもはや非正規雇用で成り立っていると云ってももはや過言ではない。

司書として薄給を余儀なくされながら働く彼ら、彼女らがどんな苦境に立たされているのか、私はまだ深い見識を持てずにいるけれど、それでも少なからず煽りを受けているのだろうと思う。

そういう司書たちにこれまでたくさんの恩恵を受けてきた。

図書館の存在なくして私は生きてこられなかったし、学校を除いては、文学に、あるいは教養に触れるチャンスすら与えられてはこなかった。

そう考えると図書館と、そこで働く人々だけは、何としてでもこの社会において守られなければならないと思う。

 

私の親友は正規雇用の司書だが、彼女にもさまざまな仕事上の影響が出ているのかもしれない。お互い持病のある人間同士だから、仕事の話は努めてしないようにしているので、推し量ることしかできないけれど。

それでもその弱者への想像力すら、今の政府には欠けているのではないかと思ってしまう。

ナチスドイツについて大学で学んでいた時期があり、人の心というもので政治を動かす危うさを私はよく知っているから、情がないとか、人の心がないとか、そういうことを云うつもりはない。

政治は情で動かされるべきではない。

しっかりとした地道な調査に基づき、できるだけ客観的なデータを集めて冷静に判断を下すべきだと思っている。

ただあまりにも弱い人々に対して無関心が過ぎるのではないか、図書館の役割というものをないがしろにしすぎているのではないかと思わずにはいられない。

 

緊急事態宣言のたびに私の通っている図書館は対応を余儀なくされて、利用サービスの制約を設けたりして、公的機関としての役割を果たしてきた。

だがそこに費やされる司書の人々の苦労はいかばかりだろうか。

緊急事態宣言が出されるたびに逐一細やかな対応に追われる現場の人々のことを、考えてみたことはあるのだろうか。

図書館はたしかにつぶれないだろう。

それでも平時でさえ苦境に立たされている非正規職員は、精神的にも追い詰められているという。

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図書館は社会にとってかけがえのない要だ、弱い人々、居場所のない人々にとっての大切なアジールだということはこれまでにも書いてきた。

実際に私もそうして図書館に助けられてきたし、その恩は決して返しきれるものではない。

今も先人の司書たちが選んで残した本の数々に、どれだけ救われていることか分からない。それも偉大な仕事があってはじめて残ったものであって、司書たちの仕事をないがしろにするわけにはいかない。

文化の担い手、そして後世へと文化を受け継いでいく存在としての司書の価値を、もう一度よく検討すべきなのではないか。