【深夜の文章キャス】ノンバイナリーと表現の形

朝、ノンバイナリーというのはセクシャリティを細分化しすぎで、それをアイデンティティにすべきではないという趣旨のツイートが流れてきていたく傷ついた。

 

 

創作において、私はノンバイナリー的表現をおのずと選ばずにはいられないのだから、そこにアイデンティティを見出すのは必然性があるし、そもそもLGBTとはアイデンティティに直結している。

私が私であるという自己肯定のために、ノンバイナリーという言葉がひとつの役割を担っているのだから、それは誰にも否定できない。

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創作において、プロを目指すのであれば明白に分かれた男女というものを書かざるを得ないところがあって、それがどうしても苦しいのだ、ということがこれを読んでくださっている方に上手く伝わるか分からないのだけれど、私はどうしても男性的な男性を描くことはできないし、そうしたいとも思っていない。

 

これまで努めて男女の異性愛を書こうとしてきたけれど、それは私にとってはとても苦しい作業だったということを書いておきたい。

その方が多くの人にとって受け入れられるものだから、と自分を枠に押し込めて創作活動をしてきて、その結果無理が出てきて、今小説を書けなくなってしまっているという一面もある。

無理解という現実にはあちこちで直面したし、今もなおその問題にぶつかっている。

 

その点でプロになれないというのなら、潔く諦めて、同人に徹したいというのが今の想いで、そうした受け皿は少なくとも同人にはあるから、私は今後とも女性的な男性を描きつづけるだろう。

プロになるよりも大切なことは、とにかく何年でも何十年でも書きつづけることだと思っている。決して筆を折りたくない。

そう考えると商業BL作家を目指すとか、また別の道が見えてくるのかもしれないけれど、今はそこまで考えられない。

 

とにかく私は私の小説としっかり向き合わなければならないし、プロになれようがなれまいが、とにかく小説を書くことを諦めないように心の灯火を燃やし続けなければならない。

それがどんな形になるにせよ、多くの人に理解してもらえないものであるにせよ、私は自分のノンバイナリーとしてのアイデンティティを掲げたいし、創作にも反映させていきたい。