【深夜の文章キャス】卵生の痛み

昨夜、突発的に死にたくなってきたので詩を書いた。

卵生の痛み

感情がもつれ合って絡まり合って解きほぐせないから、糸くずのようになった塊をあなたにあげる、というわけにもいかない。あなたにはせめてアガパンサスを捧げたい。願いは遂げられず、言葉は蝶になれないまま、あらゆる必然性を欠いた虚言ばかり並べ立てて、ひらひら、ひらひらと翼を失ったまま落ちていって、ベッドに横たわりつづける人形の夢を見ている。無言の声のみを、あるいは時折こぼれる吐息だけを信じられたら救われるのでしょうか。卵のように、水のように、交わされる言葉の密度に固執するあまりにあなたも遠ざかって、別れの言葉も告げられないまま、また顔のない誰かになっていく。そうして透明になった人間たちを数えて二十七になったら、架空の自傷も終わりを迎えるのでしょうか。

kakuyomu.jp

越えられない夜を越すために、どうしても私には詩が必要なのだと思う。 

たとえ拙い言葉であっても、この混沌とした絶望感をどうにか吐き出さなくては、夜は越えられない。

そうして生まれた夜の詩たちが、今私を生かしている。

たとえたったひとりでも、私自身の言葉だけは私の傍にあると信じたい。

エゴイズムだと云われればそれまでなのだけれど、そうして必然性に駆られて書いた詩の数々が、他の人の元へと届けばいいなと願っている。

先ほどTwitter最果タヒさんの言葉と出会った。

さっそくkindleで注文して読んだ。

私は暴力的な人間だ、と常々思っている。人の輪の中に入れないし、そのおかげでさまざまな困難を味わってきた。ゼミの先生に「もう少しなじめないんですか?」と云われたのを未だに覚えている。

そういうことを延々と繰り返しているから、歌会にも入れそうにない。おそらく面倒なことになってしまう。先だっても気づかぬうちに嫉妬されて、面倒さが勝って詩歌サークルを抜けたばかりだ。

知らず知らずのうちに、好むと好まざるとのうちに闘争に巻きこまれ、嫉妬され、あるいは空気を読めずに徹底的に批判をしてしまい、手痛い失敗をこうむってきた。人と和して、群れを作って平穏無事に生きていくことができない。

それは強さではないだろう。ただ単に生きるのが下手すぎるだけだ。

強ければそれでいいのだろうかとも思う。強さは時に人を傷つける。

そうではない強さを今は求めている。さまざまな心の病気に打ち勝つ精神的な強さ、妬まれてもなお毅然として創作をつづけるだけの強さが欲しい。

しかし強いという言葉には、どうしても弱いものを否定するというはたらきがある。弱さを克服することは私には一生できそうにないし、弱いままではいけないのかとも考える。

弱いままで生きていく。自ら体を損なうことなく、生き延びることだけが唯一私に残された至上命題で、これを果たしつづける限りは私は私でいられる。それだけではいけないのだろうか。

詩を書くことも、その弱い自分を下支えする糧となっている。糧がやがて暴力装置へと変わるとき、私の詩は詩でなくなるのかもしれない。

 

執筆BGMは「沙耶の唄」だった。

沙耶の唄

沙耶の唄

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当時リアルタイムでプレイしたのがなつかしい。

またプレイしたら印象が変わりそうなのだけれど、あいにくとwindowsはアップデートさせてしまったし、もうなかなかプレイできそうにない。