【深夜の文章キャス】耽美主義からエモーションへ

短歌があと数日中に300首に到達する。

そこで主人と話をして、これまで詠んできた短歌や俳句について語り合った。

私は耽美主義を掲げて俳句や短歌を詠んできたけれど、賞への投稿を目指したことをきっかけに、それまでの文語調から口語調への転換を図り、同時に耽美主義から離れて、詩歌にエモーションを載せることへと方向転換した。

散文詩ではその傾向が顕著で、これまで私はエモーションを載せることを忌避してきたのだけれど、本来詩歌というものはエモーションと切っても切れない関係にあるということを自覚するに至った。

kakuyomu.jp

 

きっかけとなったのは、noteを拝見しているかみしのさんの影響が大きい。

note.com

エモーションを載せることがこんなにも面白いのだなと気づくきっかけをいただいたし、彼の文章や短歌が私はとても好きだ。

歌集が出るというので今からとても楽しみにしている。

詩歌にエモーションを載せるということが、写実と幻視のはざまを描くのにこの上もなくマッチするということに気づいたのは、そうした詩歌を作りはじめてからのことだった。

もちろん耽美的な作風も好きだし、それは今写実と幻視の間で短歌を詠んでいても色濃く表れるのだけれども、新たな作風を模索する楽しみは、作詩11年、作歌5年という経歴の中で良い刺激をもたらしている。

 

 耽美主義な詩は二冊の詩集を発表して、やりたいことをやり尽した感があったし、耽美というものはどうしても狭い世界なので、似たり寄ったりになったり、作風が固定されすぎてしまうことに云いようのない不安を感じていたのだった。

もちろんこうして二冊の詩集を出したことはひとつの成果だと思っているし、収録した詩はどれも本当に気に入っているものばかりではあるのだけれど。

 それでも行き詰まりを感じていたのもたしかなことで、表現を志す人間は一処にとどまっていては死んでしまうという村上春樹の言もあるように、とにかく新たな方向を模索し続けなければならない。

そういう点で短歌との再は新たな喜びをもたらしてくれたと云っていい。

できれば自作の短歌を引いて載せたいのだけれど、あいにくと公募のために詠んでいるので、公開できる短歌がほとんどない。

またいずれKDPで歌集を編もうと思っているので、その際お目にかけられればと思う。

 

またTwitterのフォロワーさんで「うたよみん」という短歌アプリで短歌を発表しておられる方がいて、その方の短歌も拝見して刺激をいただいた。

www.utayom.in

私も機会があれば新たに短歌を詠んで公開したい。

今は公募にかかりきりなので、応募を終えた段階で、日々詠んでいければいいなと思っている。

結果次第ではまた別の公募にチャレンジすることになるかもしれないが、ひとまず今は先のことをあまり考えすぎず、日々の作歌を楽しみたい。

 

また詩歌というと、俳人の漆拾晶さんの短歌にフィーチャーした掌編を書かせていただいたのも良い思い出で、こうしたコラボレーションを他の方ともできればと考えている。

kakuyomu.jp

幸いにもTwitterのフォロワーさんの中には詩歌を作っておられる方が複数いらっしゃるので、ご縁があればと願っている。

こちらから申し出をさせていただくこともあるかもしれない。

そうして座の文芸としての詩歌を楽しみつつ、自分の作風をもっと深めて進化させていきたいと願っている。