短歌を詠むこと、詩歌を読むこと
今日は短歌を10首詠み、合計で260首になった。
体調の悪化によって昨日今日と短歌を詠むモチベーションが落ちていたのだけれど、もともと療養短歌として詠むつもりではじめたので、むしろそういうときの方が都合が良い。
詠んだ短歌はやはりダークでタナトスの香りのする詠みぶりで、もうこうした作風からは一生離れられそうにない。
今はアンナ・カヴァンやシモーヌ・ヴェイユを読むことで、その活力にしているけれど、眞鍋呉夫や永田耕衣といった俳人の俳句を再読するのもいい糧になりそうだ。
永田耕衣は他の句集もぜひ読みたい。
また今のところwikiで読んだ限りだが、やはり赤尾兜子の俳句にも触れておきたい。
まだ積んでしまっているので近いうちに崩すことにしたい。
そうしてさまざまな詩歌に触れることで、自分の目指すべき道がもっとはっきり見えてくるのかもしれないし、闇雲に選歌をしたところで歌を選ぶ目はまだ培われてはいない。
やはり読む方もしっかり量をこなしていきたい。
追記
さっそく『赤尾兜子の百句』を読んだ。
やはり前衛俳句の『蛇』『虚像』の句の数々は圧巻。
鬱を抱えながら句作に励み、最後は自裁したという俳人の抱えた抑うつと孤独、不安の烈しさをまざまざと感じた。ぜひまとまった形で句集が欲しい。
鑑賞文は正直蛇足だと感じた。
特に前衛俳句や意味を超越した句に対して無理矢理解釈を付け加えようとするところがいただけない。詩というものは意味の世界から離れたところに存在するので、途中からは赤尾の句のみ読もうかとも想ったのだけれど、それではこの本を読んだ甲斐がないと思い直した。
できれば『蛇』『虚像』はそれぞれ個別の句集として手元に迎えたい。