短歌250首到達&Twitterふたたび退会

ちょうど短歌を再開して1ヶ月で250首に到達した。

これまでに選んだ短歌は93首、これでもかなり多い方だと思う。300首に到達した時点でいったん切り上げて、選歌のふるいに再度かけて50首を選んで応募したい。

結果次第ではKDPで歌集を編むことになるので、93首はできればそのままの形で使いたいと思うのだが、もう少し絞って厳選したい。

こうして選んだ短歌を概観してみると、いかにもダークでタナトスの色が濃い。耽美主義から離れてもなお耽美的な色はとどめている。離れようと思っても離れられないのだろうし、作風というものはそう変えられないものなのだなと気づく。

夏に集中して詠んでいるのでほぼ夏の歌ばかりだけども、写実と幻視のはざまで短歌を詠んできたので、致し方あるまい。

詠みこんだものはさまざまにあるけれど、Twitterのように列挙したところでしょうがないのでやめておく。短歌は自立して成立しているべきだし、読者の自由な鑑賞にゆだねたい。

ただアンナ・カヴァンへのリスペクトに満ちた作品になることは間違いない。

evie-11.hatenablog.com

短歌を通じて作品を味わい、咀嚼しているのだという実感は日に日に増している。

 

この間Twitterを再開したりもしたけれど、結局のところ私に必要なのは「本と私とふたりきり」という関係で、それは創作にしても同じことで、「創作と私と、そして読者」という関係をできるだけディセンシーな状態に保ちたいということだ。

そこに「別の作者」が介在する余地はあまりないなぁと思っているし、創作の持つ善き孤独感を私は感じていたいのかもしれない。

そういうわけでTwitterをふたたび退会したのだった。

あまりにもノイズが入りすぎる空間では、やはり腰を落ち着けて創作と向き合えないと感じたし、あまりにも「何者かになりたい」人たちで溢れすぎていて眩暈がしてくる。即席で瞬発的な闘争ばかりが繰り広げられていて、少しも心が落ち着かない。

もう少し静かな空間で創作活動をしたい。

 

ひとりで黙々と短歌を250首詠んできたのも、インスタントな評価を欲してのことではないから、そうして自分の創作をできるだけ丁重に扱うことは、作者として最低限必要な礼儀なのかもしれない。

あまりにもノイジーな空間ではうつくしい絵画も色あせて見えるし、人々の欲求にまみれて俗悪なものになってしまう。

作品を公開する場所はできるだけ静かなところが良い。

そういう点ではカクヨムも何かと煩わしい場所ではあるけれど、さまざまな機能の面で使い勝手はいいので、引き続きカクヨムを利用したい。

kakuyomu.jp

またKDPも他者との交流の煩わしさに巻きこまれることなく利用できるので、引き続き作品を発表する場として活用したい。

既刊の散文詩集につづく作品を作れるように励んでいきたい。 

 

交流ができないという点でTwitterに戻ったものの、もともと盛んに交流していたわけえではない。

いいねを飛ばし合う間柄でしかない人々がほとんどだったので、特に支障はないということに気づいた。

むしろブログには自分の空間という線引きがきちんとなされていて、そこに他者が介在する余地はあまりないし、心落ち着けて文章を書ける。

今後ともブログに重点を置きつつ更新に励みたい。