【深夜の文章キャス】散文詩「夜の言葉」と言語SF

夜の言葉

言葉を越えるために夜が必要で、夜を越えるために言葉が必要なのだが、おおよそ私に夜は与えられず、言葉を発する力もない。発する前にほろほろと崩れる言葉をか細い声で発しても、すぐに渦に呑み込まれて霧散し、ひとかけらの残骸の切っ先に著しく傷つけられ、あるいは隔絶した他者の意図を超えたところで痛みを感じて、その痛覚を遮断するすべももたず、不埒な片恋ばかりをして、書物に弾劾されるまで恨んでやまない。ともすれば喃語なんごになるのをこらえて、鋭い言葉をできるだけ婉曲えんきょくにして、あるいは別の形へと変えて伝えても、置き換えられた言葉は蝸牛であったり湖であったりして、その真意が人形の永久の眠りのさなかに観る夢の中の苺であることは伝えようもなく、言葉を補おうとしても見えざる手に阻まれる。母国語を用いて話せないのであれば、他国の言語を用いようと意を決するも、ドイツ語のおおよそすべての文法を亡失し、猫のほかの単語を忘れた私になせることはなく、かつて他言語学習に滞りがあるということに対して向けられた医師の憐憫を思い起こしてふたたび憎悪する。絶え間ない感情の波が私を押し流し、あらゆる言語は原初的な憤怒へと変わる。激情はやがて熱を失い、かつて耳にした無数の言葉が鋭い刃となって私に歯向かう。細部を検分する間もなく闇は濃くなり、男の、女の、あるいはそのどちらでもない声が満ちた密室に閉ざされたまま炎に包まれて、丸いちいさな球体を抱えてうずくまったまま、はるか遠くから聞こえてくる無声の音楽に耳をすませる。

 

kakuyomu.jp

 

flumina/fennesz+sakamotoを聴きながら言語SFのような詩を書いた。

flumina

flumina

  • fennesz+sakamoto
  • エレクトロニック
  • ¥2444

music.apple.com

このアルバムはCDとして持っているのだが、PCに取り込んだ記憶はないのでapple musicで聴いている。

言葉をうまく発せずに、想いの丈も伝えられないのなら、もはや残された手段は詩を置いて他にはなかったのだ。

言語SFは詳しくないのだけれど、円城塔は何作か読んで魅了された。

特に『道化師の蝶』が好みで、以前住んでいた地域の図書館で借りて読んだのはいい思い出だ。 

何年か前のkindleのハヤカワセールで買った『Self-Reference』も積みっぱなしなのでできれば読みたい。

また『文字禍』はまさに言語芸術の極地とも云うべき作品なのだろうし、こちらも機会があれば手に取ってみたいが、当分先になるかもしれない。

文字渦

文字渦

Amazon

 

 さらに金井美恵子も「書く」という行為に徹底してこだわりつづけている作家で、この詩を書くにあたって影響を受けた。

金井美恵子は「書くこと」「言葉を発すること」にはそれそのものに官能性とロマンティシズムがあるということを雄弁に物語っている作家の一人だと思う。

純文学ではあるけれど、ある意味言語SFとしても読めるのかもしれない。 

考えてみれば円城塔『道化師の蝶』も芥川賞を受賞しているので、両者の垣根はそう高くないのだろう。

 

さらにマゾヒスティックな苦痛を訴えながら、それでいて嘆きを突き放して書くというのはアンナ・カヴァンアサイラム・ピース』に拠るところも大きい。

この『アサイラム・ピース』もSFとして読む向きもあるようだし、こうして一見無関係に思われる本がひとつの線上に並ぶのはやはり読書の醍醐味だと云っていい。

またいずれ再読したいし、アンナ・カヴァンは『氷』『草地は緑地に輝いて』を積んでいるので、読まねばと思いつつまだ読めていない。

今は長編を読む体力がないので、『草地は緑に輝いて』から読むことになるかもしれない。 

本を読まねばと思いつつ、持病の調子が思わしくなく、日々生きるので精一杯だと、なかなか小説を読めずにいる。

もう少し病状が落ち着いてくれることを祈るばかりだ。