届いた歌集と短歌を詠むこと
届いた詩歌集など
『&premium あの人の読書案内。』の皆川明の項目に触発されて買った高村光太郎『智恵子抄』と、某所で注文した石井辰彦歌集二冊が届いた。
ここのところすぐ歌集や詩集を積んでしまう。
図書館本も消化しなければと思うのだけれど、次々に新しい本に手を出してしまってなかなか落ち着いて読めない。
江國香織『落下する夕方』のネタバレを見てしまい、その内容があまり面白いものではなかったので、いったんここで詩歌にギアチェンジするかもしれない。
葛原妙子の歌集や評論が次々と出るというし、それも買わねばならない。
再版されるという、山尾悠子『角砂糖の日』は以前父を誘って足を運んだLibrairie6の展示で、誕生日のプレゼントとして贈ってもらったのでいいのだけれど。
『跳ね兎』は後日オンラインで個人的に買った。
新装版の展示があるというので気になっている。
オンラインでも開催されるということなので、オンラインで観るつもりでいる。
短歌を詠む
セロクエルが効いてきたのか、希死念慮に苛まれる頻度とその絶望の深さは浅くなってきたのだけれど、それでもここ数日は情動が安定せず、インスタントに「死にたい」と思ってしまう。
いわば希死念慮を糧として短歌を詠んでいるのだけれど、同じようなことは小説ではまず許される余地がないから、短歌という形式は今の自分にはより合っているのだろうなと思う。
詠んでも希死念慮は薄まらないけれど、それでも想いを載せる器があるというのはありがたいことだ。
とびきり鬱な音楽を聴くとか、泣くとか、やりきれないからお酒を飲むとか、私はほとんどやったことがないが自傷行為をするとか、そういうものの延長線上に短歌がある。死にたい気持ちを希釈するために詠んでいる節がある。
だからひとりきりで200首詠んでこられたのだろう。
今後とも公募に出すまでは大部分を非公開としながら作歌に励まねばならないので、次の選歌を楽しみにしながら励みたい。
ここのところシモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』を少しずつ読んでいて、短歌を詠んだものの、公募に出すには文脈から離れすぎて意味不明になりかねないので、カクヨムで公開することにした。
ヴェイユ説く「おまえの孤独を守りぬけ」福音あまりに遠く響いて
また罪に罪を重ねて恋を説くヴェイユの弾劾望んでもなお
実在の地獄を見ずに妄念の楽園からも追放されて
剥き出しの仮象を遠ざけ愛しおり人形絵画きみも幻影
2021.06.07
ヴェイユの説く思想は厳しいし、実践するには私はあまりにも弱いけれど、それでも重い毛布を頭からすっぽりとかぶったような安心感に包まれながら読んでいる。
今後も詠んでいて心に響く言葉があれば、短歌で応答したいと思う。
そういう形の読書があってもいいのかもしれない。
またTwitterに今日が塚本邦雄の忌日であることが流れてきたので、塚本邦雄に関する短歌を10首ほど詠んだ。
塚本邦雄に関しては何を語っても陳腐になりそうなので多くの言葉を尽くしたくない。私が彼に抱いている感情は複雑で、少なくとも誰かと安易にシェアしたくはないし、公募に投稿するかもしれないので非公開としておく。
それにしても無駄に暑いし生きている意味も分からない。それでも何とか生きねばならない。