【深夜の文章キャス】性愛の愛憎について

プロットを完成させてオンラインサロンのプロ作家の先生宛に送った。

小説からしばらく離れたいと思っていたのだけれど、オンラインサロンの課題としてプロットを送るようにと云われていたのと、やはり小説を書きたいという気持ちの折り合いをなかなかつけられずにいたのだ。

300首を詠むまでは短歌に専念するつもりではいるけれど、このペースだと7月中に400首近く詠めるようなので、ひとまず300首になった時点でいったん打ち切って選歌や推敲をして投稿しようと思っている。

結果次第でKDPで歌集を編むという方針に変わりはないが、それまで間があるし、詩歌も重んじつつ、体調を鑑みながら小説にも取り組んでいきたい。

詳細はまた後日このブログに書くつもりでいる。

 

最近はまともに小説を読めずにいるので、思い立って江國香織落下する夕方』を100頁ほど読んだ。

今のところ『きらきらひかる』の変奏なのかなと感じる設定で、三角関係を描きながらもその関係は奇妙で、ファンタジーめいている。

もう少しリアリティを追求したものを読みたい。 華子の存在や、その扱いにどうにも難があるなと思う。嘘っぽいなと思ってしまうともうだめだ。少しも世界に入りこめずにいる。 

きらきらひかる』においては紺の存在がファンタジー要素だったけれど、彼の存在が好意的に捉えられるのは、笑子にとっても、睦月にとってもかけがえのない存在なのだということに納得できる描き方をしているからだ。

ヒロインにとっては恋敵で、恋人との大切な思い出を遠慮なく奪ってしまう華子の存在は、どうしても一読者としては受け入れがたい。

一方で8年間もヒロインと付き合っていながら、華子に一目で惚れてしまって部屋を出て行った健吾の心象もはじめから良くないし、彼女をいくら好意的に描こうとしても限界があるのではないかと思ってしまう。

愛しきれない、憎みきれないという惰性の感情がある種のリアリティを担保しているのかもしれないけれど、私は人を憎みすぎるし愛しすぎる人間なので少しも共感できない。

華子のことを憎めないヒロインの弱さが物語を冗長なものにしている気がする。

もっとも、真に責められるべきは健吾だと思う。すべては彼が中途半端な恋愛感情のまま宙ぶらりんになっているのが元凶で、ヒロインと華子に対する扱いがあまりにも雑だ。華子と並ぶと姉妹のようだとヒロインに云うのは、あまりにもデリカシーに欠ける。

ヒロインが言の葉様化しない限りはどうにも不完全燃焼になってしまうなと思うが、物語の行き着く先は絶対にそこにはない。

 

そういう点ではやはり桜木紫乃に軍配が上がる。

あの硬質な世界観と性愛を突き放して描く姿勢は私には持ち得ないものだから、どこまで参考になるかはわからないけれど、それでも広義の性愛を描くならばもっと読まねばならない。

 主人に借りて読んだ『氷平線』があまりにも粒ぞろいなので、他の作品もぜひ読みたい。

 ただ私が本当に読みたいのは性愛の美しい哀しさではなく、性愛の愛憎というもっと温度や湿度が高いものだから、谷崎作品を再読したり、横溝正史作品を読んだりするが早道なのかもしれないけれど。

中でもやはり「鬼火」は傑作で、先頃再読したときには、その炎のような情念の因縁の渦に引き込まれてしまった。

横溝特有の語り口の見事さと、どろどろの愛憎劇がぎゅっと濃縮された作品で、できればまた読み返したい。

ちなみに「ひぐらしのなく頃に」も多分に横溝作品の影響を受けていると感じたのだが、鷹野三四の幼少期に起きた、両親にまつわる出来事は「鬼火」を彷彿とさせてしまう。

 また横溝作品というと、主人が市川昆×横溝正史作品が好きで、かつて「犬神家の一族」と「悪魔の手毬唄」は映画で鑑賞した。

私はどちらかというと「悪魔の手毬唄」が好きで、あの由良泰子が滝に打たれて死んでいるシーンは強く印象に残っている。

もともと民俗学をかじって伝奇ホラーを多少読んでいたということもあり、「悪魔の手毬唄」が好みなのも自然なことなのかもしれない。

短気なら短気で、描けるものもあるのかもしれない。

おそらく私は人が感じているより多くの愛憎を他人に対して抱くし、執着心があまりに強すぎる。そういう点ではホラーとは相性がいいのかもしれない。

プロ作家の先生に一度はホラーを勧められたのも、そうした私の性質を見抜いてのことなのかもしれない。

とにかく人間の負の部分を厭というほど知っているし、自分の負の部分も自覚しているだけでも根深いものがあるので、それをいくらかでも昇華しようとするとき、ホラーは少なからず私を救ってくれる部分があるのかもしれない。

最近だと坂東眞砂子狗神』を再読したのだが、やはり伝奇ホラーは面白い。

性愛の愛憎とどうしようもなさという点ではこの『狗神』もそのど真ん中を行く作品で、その感情が基軸となっている。だから何度も読み返すほど私にとっては好きな作品なのだろう。 

 

この文章はもともと日記に書くつもりだったのだが、あまりにも脱線してしまったので今回この場で公開することにした。

やや筆が滑ってしまった感は否めないが、たまにはこうして妄言を弄して文学を語るのもいいのかもしれない。