【深夜の文章キャス】孤独について
気づけばこのブログの読者数が50名様に到達しました。
感謝申し上げます。
眠れそうで眠れないのでつらつらと書く。
Twitterに一時的に戻ったものの、孤独を手放すことが今度は怖くなってしまった。
この社会において、孤独は恐れるもの、存在しない方がいいものという同調圧力は未だに根強いが、 諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』には、「孤独を癒すには孤独を深めていくしかない」という趣旨の文言が出てくる。
この言葉は金言だと思う。安易ななぐさめを施さない誠実さを感じる。
後続の本なども読んだけども、彼の著書のエッセンスが凝縮しているのはこの一冊と、それから100分de名著『夜と霧』だと思う。
孤独に苛まれている人にぜひおすすめしたい。
さて、孤独を手放すことが怖いと思った背景にはふたつばかり事情ある。
ひとつは創作について。
孤独と創作とは切っても切り離せないところにあるのだということを、この希死念慮に苛まれつづけた三ヶ月で実感した。
私はひとりで黙々と短歌を詠みつづけて、それも100首を突破した。
孤独だから詠めた歌、孤独でなければ詠めなかった歌はたくさんある。
というよりも孤独というものに捧げるために短歌を詠みつづけていると云っていい。
そこで孤独が失われてしまうと、私が短歌を詠む原動力やエネルギーも損なわれてしまう。
短歌だけではなく、散文詩にせよ、小説にせよ、エネルギーを要するものというものは、その土壌にどうしても孤独が必要なのだと思う。
振り返ってみればTwitterにいた頃は、どうしても衝動的に小説を書いて、それでそれ相応の評価をコンテストでいただいたり、プロ作家の先生に認めていただけたけれど、今から取り組もうとしている小説は長期戦になる。
体力も気力も相当必要になる。そのためには孤独でなければならない。
中途半端にいらないところで消耗したり、インスタントな評価欲しさに突き動かされていてはどうしようもない。
長期的な目線で、病苦に耐えて、時には筆を休めることがあっても書き上げなくてはならない。
そこで短期的な評価の如何に振り回されているようではどうしようもない。結果的に焦りばかりが募ることになりかねない。
もうひとつは読書について。
読書を通じて人とつながりたいという欲求が強かった20代を振り返ると、果たしてその欲求は半分も満たせたのだろうかと思ってしまう。
先ほどシモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、塚本邦雄『水葬物語』『装飾樂句』を読んでいて、「ああこの気持ちは誰かと安易に分かち合いたくないな」と思ったのだった。
むろん人と分かち合う喜びもあるのだろうけれど、ネット上、さらに云えばTwitter上では1/10も伝わらない。SNSで本について発信するということは、読書という体験の喜びの本質からはかなり隔たっている。
伊藤計劃『ハーモニー』の次の一節を思い出す。
わたしたちと話しているとき以外は、ミァハは子供たちが遊ぶ公園のベンチに腰掛けて、静かに本を読んでいた。この紙でできたデットメディアでテキストを読むのが、わたしたちの知るミァハの唯一の趣味だった。どうしてわざわざ本で読むの、と一度訊いたことがある。ネットで拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)に呼び出して読めば持ち歩く必要なんかないのに、って。
「誰かが孤独になりたいとしたら、死んだ(デット)メディアに頼るのが一番なの。メディアと、わたしと、ふたりっきり」
とミァハは応えた。あの冷たくなめらかで、ヒトを眠りに誘(いざな)うような声でさらにつづける。
「映画とか、絵画とか。でも持久力という点では本がいちばん頑丈よ」
「持久力、って何の」
「孤独の持久力」
この本の持つ「持久力」を損なうものはSNSに他ならない。
孤独を厭う人間たちがSNSから離れられないのも自明の理で、SNSから離れない限りは本当の意味で本を読むことはできないのではないかとすら思えてくる。
amazonでもなんとか孤独感から逃れようというタイトルの本を何冊か見かけた。
メンタルヘルスの本を読んでいても、とにかく人とつながることばかりを良しとする言説が飛び交っている。
孤独を恐れて人とつながることが幸せをもたらすとは私には到底思えない。
このコロナ禍にあるからこそ、もう一度孤独の真価について自分自身と向き合って問い直す必要がある。
孤独であるからこそ心理的に追いこまれることもあるけれど、孤独でしか味わえない体験を今私は噛みしめているのだとつくづく思う。
よくふたつの選択肢で迷ったときに「その選択をしてどちらの自分がより好きかで選ぶ」ということが取沙汰される。
私は結局のところ「SNSでさまざまなストレスを感じながらも人とつながる自分」よりも「孤独でただ黙々と創作をしてブログを書いている自分」の方が好きなんだろうなと思う。
ネット上で人とつながりさえすれば万事解決、という時代はもう終わってしまったのだし、孤独を抱きしめて、たとえ友人は少なくとも、今の関係を大事にしながら、本に親しみ創作をしていきたい。