Twitterをやめてから気づいた新たなつながり方

Twitterをやめてしばらく経ちました。

この間、Twitterアカウントを何度か復活させてしまい、すぐに消すということを繰り返していました。

どこかで人とのつながりを求めずにはいられなかったのだと思います。

でもTLの情報の奔流を見ていると、「私はここに戻りたいわけではないんだな」という想いを新たにするばかりでした。

Twitter読書垢あるあるかまってちゃん構文や、相変わらず書名や著者名や書影だけでマウントを取り合っているさまに鳥肌が立ったりもしました。

Twitterにいた頃にはぼんやりとした違和感としてしか感じられなかったものが、Twitterから離れるとまるで異質に感じられます。

 

もともと人と交流するのは苦手で、Twitterでは人間関係に消耗することも多々ありました。そのストレスは思っていたよりも大きかったのかもしれません。

主人と話していて、「Twitterにいると、リアルでははあまりコミュニケーションの相手がいない人が、急に百人単位の知り合いができてしまう。だから混乱するんだろうね」ということを云っていました。

そういう環境に身を置いていると、距離の取り方が分からなくなってしまうのも自明のことなのかもしれません。

私が別のSNSで複数のネトスト被害に遭ったのも、人との距離感を掴めない人たちが、急に近寄ってきてしまったと云い換えることもできるのだと思います。

私はその距離感をできるだけ縮めたくないタイプの人間で、Twitterにいた時にも親しいと心から感じる人はほとんどいませんでした。

そういう人間にとってTwitterは大きなストレス要因でしかなかったのだろうと思います。

 

そうしてTwitterから離れて日々ブログを書いているうちに、新たな人とのつながり方ができるようになってきたなと感じています。

それは愛読しているブログやnote、個人サイトで更新される日記を読むこと。

ブログでは必ずコメントを交わす必要もありませんし、他者との距離をかなり長めに保っていられます。

それが孤独感を呼び覚ますことにもなりうるのですが、こうして人の日記を読んでいると、直接的にはつながらなくても、心のどこかで間接的なつながりを感じることもあります。

ある人の日記を読んで、それに触発されて本棚を買ったり、あるいはもっと読書に身を入れなくてはと自分を鼓舞したりと、たしかに読んだものから影響を受けています。

evie-11.hatenablog.com

あるいは別の人のブログを読んで、沈んだ心をなぐさめられることもあります。

私にとっては結局のところその距離感が心地いいのでしょう。

もちろんその人の日記に飛んでいって、わざわざ「私も買いました」と書き込まなくてもいいのです。

ただそっと訪ねていって、更新されているかいないかとわくわくしながら読んで、そうして自分の糧にしたり励みにしていくことが、私にとってはかけがえのないつながりになっているのだと感じます。

Twitterをやめて、テキストメッセージでの直接的なやりとりは格段に減りましたが、それでも心の中の豊かなつながりを得ることができたと今では肯定的に捉えられるようになりました。

それは得難い経験で、ブログに拠点を移したからこそ生まれたつながりなのだと感謝しています。