2021.05.12 俳句→短歌へ舵を切るかどうか考えたい

昨夜は2時まで主人と飲んで彼の歌論を聴いた。

短歌という形式について、私はまだそう簡単に結論を出せずにいる。

実作も俳句に比べて乏しいし、佳作をいただいたことはあっても、それから賞にせっせと投稿するということもしていない。

しかし、もしかしたらおおよそ芽が出そうにない俳句よりは幾分かは見込みがあるのかもしれない。

kakuyomu.jp

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昨夜の席で、ここのところ作風を転換させて作った俳句

きみがため生れしと云へず春の檻

と詠んで聴かせたところ、主人に短歌のようだと云われた。

さらに思い出せば私の小説の作風を良く知る人から「雨伽さんは短歌ですよね」と評されたこともあった。

人様の目から見て適性があるのは俳句ではなく短歌だと感じるのなら、それは少なからず妥当性を帯びているのかもしれない。

私が志すべきなのは短歌であって俳句ではないのかもしれない。

俳句は何度か投稿したけども、いずれも結果がでなかった。

惹かれてやまない俳句の世界に私の居場所がないのがなんとも歯がゆい。

俳句を詠むのは好きだし、読むのも好きだが、いかんせん向いていないのかもしれない。

 

短歌に舵を切るというのなら、しかるべき歌集をとにかく読んで自分の血肉に変えていかねばならない。

葛原妙子も松野志保も積んでしまっているし、角川短歌も買ったまま読んでいないものが何冊もある。再読したい歌集もいくつもある。

われらの狩りの掟

われらの狩りの掟

  • 作者:松野志保
  • 発売日: 2021/04/10
  • メディア: 単行本
 
Lilith

Lilith

  • 作者:川野芽生
  • 発売日: 2020/09/26
  • メディア: 単行本
 

 もう一度軌道修正を図るべき時に来ているのかもしれない。

 

ただ、俳句も五年間詠んできて、ここですっぱりやめるつもりもないし、これまでの模索をいったんやめて、以前のように耽美主義的な句風に軌道修正を試みたい。

眞鍋呉夫、関悦史あたりは再読したいし、さらに新たな句集を読まねばならない。

眞鍋呉夫全句集

眞鍋呉夫全句集

  • 作者:眞鍋呉夫
  • 発売日: 2020/01/25
  • メディア: 単行本
 

とにかく読むべき本は山のようにあって、読書意欲が湧かないと嘆いている暇はない。

今月はまだ6冊しか読めていないし、この半月でせいぜいがんばって挽回する必要がある。

俳句はあくまでも趣味の領域で、詠みたい時に詠みつづけたい。

またいずれPCのアップデートが済んだら、詩歌のペーパーを作るつもりでいる。

これまでに作ったものはこちらから引き続き無料でDLしていただけるので、ご興味のある方はよろしくお願いします。

star-bellflower.booth.pm

 

話は少々逸れるが、どうしても書いておきたいことがあるので以下に書く。

20代の頃の私は、障害者就労支援施設の支援員に「あなたには軸がない」と云われて、そのことをいたく気に病んできた。

私のやることはいつも見切り発車ということが多いし、状況によってやりたいことも目指すところもあちこちに移ってしまう。

そういう点では落ち着きがないし、たしかに軸がないのかもしれない。

何かを為そうと思っても、軸がぶれてしまっては積み重なってはいかない。

それでも私は詩は十年、俳句は五年つくりつづけてきたし、その分の蓄積はまったくゼロではないと思っている。

しかしこのままつづけていても突破口は見出せない。

どこかで新たな転換点を見つけなければならない。

それが私はアルコールを飲んでいないが、主人と飲んだこの夜という時間だったのではないだろうか。

 

私は最近主人とDr.STONEを毎日二話ペースで観ていて、千空がとにかく試して試して試しまくって答えを導きだそうとする姿に、少なからず勇気をもらった。

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試している間はなかなか答えは出ないし、模索している間はなかなか評価をしてもらえない。

その模索も成功するかは分からないし、結果は出ないかもしれない。

周りからは行き当たりばったりに映るし、信頼性を損ねてしまうことにもつながりかねない。

それでも模索をつづけなければ新しい答えを導きだすことはできない。

茂木健一郎は世の中は偶有性に満ちていると著書に書いていた。偶有性ばかりでは脳は落ち着かないが、ある程度は必要なものなのだと。

「書く」習慣で脳は本気になる

「書く」習慣で脳は本気になる

 

私はPTSDの再燃という偶有性によってTwitterから離れざるを得ず、それまでの交流関係を失ったし、創作の発表の場をひとつ失った。

さらに小説をふたたび書ける見込みも今のところ立ってはいない。

しかしそれで筆を折ろうとか、何もかもをあきらめようとは思わない。 

創作をするということは、偶有性の連続だとも云えるのではないだろうか。

ひとつのところにとどまって、ひとつの作風に満足して甘んじていては、たちまちその創作物は腐ってしまう。

新たな作風やジャンルを求めて、今までいたところから一歩足を踏み出すからこそ見える世界がある。その世界に自分なりの答えを見つけ出すべく、模索に模索をつづける。

創作とはその繰り返しなのではないか。

たとえ結果が出なくとも、芽が出なくとも、それでも作りつづけて手探りで自分の道を探すしかない。

その過程を今は楽しみたいと思っている。