うつ病&PTSDサバイバーでも希望は捨てない

PTSDの再燃によるうつの悪化でまともに眠れない日々がつづいている。

疲労と不全感と絶望感で朝方まで徹夜して、力尽きて眠る日々がつづき、心身ともに疲弊しきっている。

PTSD再燃のきっかけは別のSNSでのネトストだったけれど、Twitterにもいられなくなってしまったし、ネットのつながりはほとんど絶えて、リアルでつながっていた友人とはさまざまな事情で疎遠になり、親は毒親、主治医は無神経な発言ばかりするので頼れない。

PTSDの症状である人間不信と疎外感と孤独感でつぶれそうになっている。

絶望的な日々を送っていて、前回一方的に話を中断された相談窓口に相談する気にもなれず、希死念慮に苛まれつづけている。

……ということを日々日記に綴っている。

aniron.hatenablog.com

 

私は今は小説も書けないし、プロの詩人や俳人を目指せるほどの腕前は持っていないし、専業主婦としての役目もまともに果たせないし、この社会にとってはいなくてもかまわない存在だし、何ら生きている意味も価値も見出せない。

何のために生きているのかわからないまま、すがりつくようにむさぼるように本を読んでいる。

そうして出会った言葉の数々にかろうじて生かされている。

希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味わいたくない者は初めから希望を持たないのが宜(よ)い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却(かえ)って期待という如きものである。

本来の希望とは「決して失われることのないもの」であり、それは「生命の形成力」だと三木はいいます。生命の形成力とは、生きることを形成する力です。生命をつなぎ、人生を紡ぐという意味です。
どんなに絶望的な状況にあっても、人は希望を持つことができます。希望には人生を拓き、人生を変える力があります。太平洋戦争に突入することはもはや避けられないという状況下で、これは力強いメッセージだったでしょう。
ナチス強制収容所での経験を綴った『夜と霧』の著者、ヴィクトール・E・フランクルは希望が生命の形成力であるということを、身をもって示した一人です。彼は絶望的な状況にあっても希望を失わず、収容所で奪われた学術書の原稿の再現に取りかかったり、収容所での経験をメモしたりしていました。それが出版できる日が来るとは誰も思っていなかった時にです。しかし、希望が彼を生かす力になりました。それを元に書き上げたのが『夜と霧』です。
──岸見一郎『100分de名著ブックス 三木清 人生論ノート 孤独は知性である』NHK出版、2021年、p44

 

 

断念することをほんとに知っている者のみがほんとうに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学智慧(ちえ)であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である。

多くのことを諦めたけれど、最後の最後に残ったものについて「これこそ自分が本当に希望していたものだ」と思えるのなら、どれほど多くの夢を諦めたとしても、夢を叶えた人生だといえるでしょう。逆に「あれもできなかった」「これもできなかった」と、いつまでも後悔する人は、今という時間や人生を棒に振っていることになります。諦めることが放棄することだとしたら、三木のいう「断念」は真の希望につながります。たとえ長く続けてきたことであっても、それが自分に向いていないと分かった時は、きっぱりと断念し、違う道を選ぶ勇気を持ちたいものです。
──岸見一郎『100分de名著ブックス 三木清 人生論ノート 孤独は知性である』NHK出版、2021年、p46

 

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

  • 作者:諸富 祥彦
  • 発売日: 2013/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

フランクルには、自分が自由の身になったら、あの書きかけの原稿──上着のポケットにひっそりとしのばせ、これだけは奪われまいとしたものの、“最初の選抜”の時に奪い取られたあの原稿──を仕上げて世に問うという目標がありました。自分の最初の著作を刊行することは、彼自身の夢であり目標でもありましたが、日々の臨床活動の中で人々の苦しみに接していた彼は、自分の著作は苦難と闘っているすべての人から待たれている、みなが苦しみから救われる方法を求めている、だから何としてでもこの本を世に出さねばならない、という使命感に駆られていたのです。

なんとフランクルは収容所の過酷な生活の中で、原稿の修復を行っていました! 夜寝る時間も惜しみ、ひそかに手に入れた小さな紙片の白地を塗りつぶすようにして、びっしりと文字をつづっていたのです。収容所に入った時に失われた原稿を、忘れないうちに復元しようとしたのです。

強制収容所という同じ状況下にあっても、ある人は死に向かい、ある人は生に向かいました。自分の未来に希望を抱くことができるか否か──そこに、人々を生と死に分けるものがあったのです。

──諸富祥彦『100分de名著ブックス フランクル 夜と霧』NHK出版、2013年、p35

 

そうして自分自身にとっての希望とは何なのかということについて向き合い、これまでにも記事を書いてきた。

evie-11.hatenablog.com

それでも一度きり書いてそれでやめるのではなく、何度も何度も紙のノートにやりたいことのブレインストーミングを書き出しながら、自分の希望をたしかめるように文字に表わしてきた。

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書き出しているうちに、自分にとって今できることや、自分軸でやりたいことが明確に見えてくるようになり、同じことを何度も書き出すことで、希望をたしかなものとして抱くことができるようになってきた。

また何度も書くうちに新たにやりたいことが見つかったり、気持ちが揺らぐことはあっても私にはやりたいことがあると強く思えるようになった。

このベースを下支えしてくれたのは茂木健一郎『「書く」習慣で脳は本気になる』だった。

「書く」習慣で脳は本気になる

「書く」習慣で脳は本気になる

 

 ともすれば同じことばかり書いてなかなか進歩していない自分を責める気持ちも湧いてくるのだけれど、今はひとつでも多くの希望を見出していきたい。

ブレインストーミングはそうした自己検閲を離れて自由にアイディアを出すものだから、「そんなことを書いたって体調不良を云い訳にして、原稿もろくに進んでいないじゃないか」「どのみち小説なんて今の精神状態のお前にはまだ書けないよ」「どうせお前はプロになれるわけないよ」と思いながらも、それでも手を動かして書く。

そのうちのどれぐらいが実現するかは分からないし、実現に向けて精一杯励んでいるけれど、すべてを達成することはできないのかもしれない。

それでも自分自身に希望を語ることは、間違いなく私の糧になっている。

 

また同著者の『孤独になると結果が出せる』にも勇気をもらった。

孤独になると結果が出せる

孤独になると結果が出せる

 

結果を離れて、自分の内にあるものをトコトン追求すればよいのです。自分の外にあるものが自分のコントロールの範囲外だということを十分に認識し、結果にはとらわれないことが大切です。
だからといって「結果を出さなくていい」というわけではありません。最終的な結果ばかりに意識を向けすぎないようにし、行動の一つひとつにきちんと目を向けるのです。
結果が得られるのは、「これをやりたい」「こんなふうにやってみたい」という自分の内にあるものをトコトン追求した末に、それが実現したときです。その実現には、無数の行動が不可欠。無数の行動をしなければならないから、時間もかかります。しかもその一つひとつの行動は、極めて地味なものです。
この地味で単調な一つひとつの行動、それ自体を「報酬」にできると、先の見えない長い道のりも落ち着いた気持ちで歩むことができます。行動すること自体が楽しくなり、極端に言うと、結果などおまけのように思えてくるのです。
──茂木健一郎『孤独になると結果が出せる』廣済堂出版、2020年

茂木健一郎の本を読むのはこれで二、三冊目だけども、基本的には性善説に立っている人なので、否定的な気分に陥っている時でも、ぽんと楽観的な言葉を手渡してくれる。そのポジティブシンキングにめいってしまうこともあるし、「そう簡単に云うけど、うまくいくわけないよ」と思うこともある。

それでも彼の言葉のいくつかを実践したことで、たしかにわずかながらも希望を見出すことができた。

 

そうして本の数々に励まされながら、日々わずかながらでも詩を書き、あるいは文章を書いているうちに、KDPとして出版した二冊の散文詩集が売れたという報せが入った。

挽歌-elegy-

挽歌-elegy-

 

罪人の冠を頭にいただき、人の子を惑わしたすべての女の恨みを纏って、私は消えてゆく。
嘉村詩穂の個人詩集。 個人サイト「紫水宮」と主宰している文芸サークルかもめのweb文芸誌「かもめソング」に発表した詩に、書き下ろしを加えた散文詩集です。
耽美主義を掲げ、表題作となった「挽歌」を中心に、主に和風・東洋風の幻想的な詩を収録しています。

-収録作品-
マディソン

逝春(せいしゅん)
よみひとしらず
或神話研究者の最期
挽歌
或楽師の書簡
緋鯉抄
調香師の終末
秋菊
夕波千鳥
秘仏
雪女郎
墨色の使徒

 

真珠姫の恋

真珠姫の恋

 

耽美主義を掲げ、SF・中華幻想・仏教、そして著者のふるさとへの憧憬をテーマとした、第二散文詩集です。
以下の十編の詩を収めています。

-収録作品-
青磁の爪
白狐譚
鶯姫
エリザベート・バートリの末裔
いにしえのうた
最後の手紙
人体標本
真珠姫の恋
補陀落渡り
地獄の白百合

evie-11.hatenablog.com

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正直なところ、持病が原因でTwitterを離れざるを得なくて、本当につらい想いをしたし、未だにそのつらさはつづいている。

本が売れないかもしれないと思うこともあったし、KDPでは活動するのに限界があると決めつけていた自分がいた。

Twitterでは作品に対してコンスタントに評価をいただいていたし、その基盤を失った意味は決して小さくはない。

 

日々心が折れそうになりながら、それでも折れずに発信しつづけたことで、こうしてお手に取っていただく機会があって、それはもちろん読者の方のお力添えのおかげだけども、最終的には自分自身が決して折れなかったからなし得たことなのだとも思う。

私はメンタルはあまりにも弱いし、弱音ばかり吐いているけれど、それでもその根底にある精神的な持久力はそう簡単に折れるものではないのかもしれない。

そうでもなければ18歳のときの自殺未遂は完遂していたかもしれないし、ここまで生き延びることもまずできなかっただろう。

私自身を取り巻く環境は何ら変わっていないし、私自身が孤独であることに代わりはない。

それでも粘り強く希望を抱きつづけたい。

どんなに絶望的な状況に陥って、希死念慮が頭から離れなくても、それでも生きていくことをあきらめたくない。

たとえ小さくかぼそい光であったとしても、心に灯火を灯して、日々をサバイブしていきたい。