不眠の音楽

不眠の音楽

何もかもがやぶれていく夜に、あなただけがたしかな言葉をくれる。十二年前から変わらずに。どうしようもないよね、生きていたってさ、何も希望を抱けないし、なんら幸せになれやしない。手が届かない光は遥か彼方で明滅し、それもまもなく塗りつぶされて見えなくなる。呪わない代わりに愛さない。憎まない代わりに信じない。そうして曖昧な境界線の上に立って、かろうじて生きていくことを強いられている。一切を信じないという純粋さだけを信じている。そうして不信に溺れて真っ暗闇の世界の中であなただけは私と同じ地獄に立っていてくれる。轟音のさなかで絶叫し、痛みを分かち合う錯覚に安堵する。言葉を越えたエモーションだけが音楽となって夜の底をひた走る。明かりはつけなくていいよ。そうして重ね合う言葉だけが形を失ってほどけて、ひとつに溶け合うという幻想すらも打ち砕かれて、記憶のことごとくが鋭利な破片となって飛び散って私を傷つけるから、せめてその鋭角だけは鮮度を保っていてほしいと願う。幾たびも血を流す場所の名前なんて知らない方がよかった。

 

kakuyomu.jp

 

昨夜は結局朝方の四時半まで眠れずに詩を書いた。

深夜に詩を書くのと、私はほとんどお酒をたしなまないが、飲酒しながら与太話をするのはほぼ同義だろうし、いずれにせよ正気の沙汰ではないのだけれど、それでも書かないとこの夜を乗り越えられそうになかったのだった。

この詩はTK from 凛として時雨凛として時雨を聴きながら書いて、ぼんやりとmib126を使ったエヴァMADのことを思い出し、シンエヴァは観ていないけれどあの頃のエヴァは良かったな、などと思っていた。

youtu.be

 凛として時雨と出会ったのは18歳の頃で、もう12年も前になる。

ちょうど私がメンタルを著しく病みはじめた頃のことだった。そうした時に出会った音楽というものは一生ついて離れないのだろう。武道館ライブにも足を運んで、時雨のライブはそれきり行けなくなってしまったけれど、am 3:45の演出が美しかったのを未だに覚えている。

am 3:45

am 3:45

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どんな時でもTKだけは決して裏切らずに絶望を、そして憎しみを歌いつづけてきてくれた。それだけが私にとっての唯一の救いだった。エッジの効いた轟音とシャウトは私の孤独を満たしてくれた。だからTKのことはこれからもずっと好きだと思う。

「明かりはつけなくていいよ」と書いたのはほんの偶然だったけれど、Sitai miss meの歌詞に「明かりはつけていて」とあったのを今思い出した。

Sitai miss me

Sitai miss me

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もともとこの作品を性愛の詩にするつもりはなかったのだけれど、PTSDの症状に苛まれ、あるいはさまざまな過去の恋愛の破片が刃となって心を傷つけつづけている今、これを書かずにはいられなかったのかもしれない。

考えてみればこの詩集に収めた詩の多くは恋愛にまつわるもので、私の意図したところではないのだけれど、恋愛と自分自身は切っても切れない関係にあるのだろう。

kakuyomu.jp

おかげさまで300PV、♥36を突破して、散文詩の模索をつづけてきて今ひとつ手ごたえを感じられずにいたのだけれど、評価していただいたことで方向性がおぼろげながら見えてきた気がする。

まだまだ詩の道は果てしなく遠いし、自分の詩は未熟さの方が勝るけれど、これからもたゆまず詩を書いていきたい。

そしていずれはまたKDPで詩集を作りたいと考えている。

過去作とはまた趣の異なる本になるはずだ。

真珠姫の恋

真珠姫の恋

 
挽歌-elegy-

挽歌-elegy-

 

耽美主義という古巣から少し距離を置いて、はじめのうちは不安ばかりに苛まれていたけれど、それでも創作をしている人間はオリジナリティを担保させるべく、少しずつでも作風をアップデートさせつづけなければならないということは村上春樹『職業としての小説家』でも触れられていたとおりだ。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 私はまだまだその途上にあって、さらに詩を磨いていかねばならない。

素人ながら、力及ばずながらでも、それでも自分の両足で立って自分の志す道を歩んでいきたい。