第2回老子読書会と現代のSNS社会に思うこと

土曜日に東大の大学院で漢文を専攻していた主人と第二回老子読書会をしました。

事前に準備をしていたこともあって、全体的に有意義な会になりました。

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テキストは中公文庫の小川環樹訳注『老子』。

老子 (中公文庫)

老子 (中公文庫)

  • 発売日: 1997/03/01
  • メディア: 文庫
 

 

今回読んだのは第六章から第九章まで。

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老子は母性信仰が強くて、儒家の男権的な性質とはまた異なった論調を持っていることや、記紀神話イザナミから水の女神が生まれたように、老子でも女性と水とが近しいものとして語られていることなど、話が尽きませんでした。

 

また第八章の

上善若水、水善利万物而不争、処衆人之所悪、故幾於道

という箇所は、まさにキリスト教のルカの福音書にある

だれでも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる

という思想に近しいと感じました。主人にとっても新たな発見だったようです。

 

さらに第九章まで読んできて、漠然とした無尽蔵の宇宙のような道を、無為によって全うするということの意味がおぼろげながらに見えてきました。

老子は終始争わないことを重んじて、そのために私利私欲に走ることを戒めています。

いわば積極的な平和主義を前提として無為という行いがあり、それは当時の戦国時代の社会状況にとって切実さを伴ったロジックであって、現代の私たちにとっても少なからず関わりのあることだと感じます。

インターネットやSNSの発達によって、承認欲求という私利私欲が資本主義ベースで消費され、それまで築いてきた集合知やシェアリングの善性という希望は打ち砕かれました。日々争いは絶えませんし、その炎上すらも消費され忘れ去られてゆくというのが今の現状です。

承認欲求や自己顕示欲を満たすこと、他者から評価されるのを良しとすることを前提とする現代では、もはや無為という行いそのものが顧みられなくなっているのだろうと思います。

私自身も無為が何を目的としてなされるのか、はじめのうちは老子を読んでも理解できませんでした。

それでも読み進めるうちに、老子的な無為のあり方というのは、現代においてはSNSからの脱却を指すことになるのかもしれないなと思い至りました。

近年『スマホ脳』や『デジタルミニマリスト』など、脱SNS、脱スマホが叫ばれるようになったのもいわば必然だったのかもしれません。

スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)

 

 私自身もPTSDの再燃でTwitterから離れてしばらく経ちますが、今のところさほど不便さは感じていませんし、むしろその環境の中で何ができるかと考えるのが楽しいです。

Twitterを離れたことで、読書の本来持っている自由な精神を思う存分味わったりアナログメモやアナログノート、テキストエディタ、日記アプリをフル活用してより生産性を高めたり。

evie-11.hatenablog.com

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自分の頭をフル活用して考えるという点では読書会も良い機会になっています。

こうして事前に準備をしっかりして臨むことで、問題点や疑問点について深く掘り下げ、読書会に反映させていくのは知的創造の醍醐味だと云っていいでしょう。

知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)

知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)

 

 つい先日『知的創造のヒント』を再読したのですが、そこでもさまざまな専門知を持つ人と語り合うことの有意義さを説いていました。

私は史学科出身、主人は国文科出身ということで、語り合うにも視点が違ったり、テキストクリティークの鋭さにはっとすることもありました。

また普段は夫婦として接していますが、読書会となるとただの一個人となって、よりフォーマルな会話を交わすことになります。

そうした場を設けることは、夫婦関係をより良いものにしていく上でも有意義でしょうし、生活にまた違う空間や時間が生まれて、ハリが出るなと感じました。

もともと主人が読書会好きで、さまざまな読書会をセッティングしてきたこともあり、彼と読書会をするのはとても楽しいです。

そうして読書会を重ねながらより広く知に触れて掘り下げていって、自分の糧としていきたいです。