テキストエディタを使って生産性を向上させた話

PTSDの再燃がきっかけでTwitterから離れて、テキストエディタをよく使うようになった。

これまでは小説の原稿を書くことが多かったのだが、かつてはTwitterに投稿していた読書メモや読みたい本のリストなど、本周りのことをテキストエディタに入力すると、完全非公開の自分だけのメモができ上がる。

そこからタイトルをコピペしてオンライン書店で検索するも良し、図書館の蔵書を検索するも良しで、SNSの読書サービスを介さずとも、読みたい本をすぐに買ったり借りられるようになった。

もちろんタイトルが分かっている本で新品で買うならばamazon直結のSNSを使ってもいいし、図書館にはカーリルなどのサービスもあるのだけれど、私は地域の特定の図書館しか利用しにない上に、オンライン書店に関しても私が最近利用しているのは日本の古本屋で、いずれのサービスも対応していない。

 

ページ間の移動も何かと手間がかかる。この動きの無駄をどうにか省きたい。テキストエディタならばひとつのサイトですべてが完結する。

読書メモに関しても、本の引用を付したり、その都度考えたことをメモしたりするときにTwitterに投稿していいねを稼ぐよりも、まとまった形でブログに引用した方が結果的に収益につながるし、効率も良い。何より非公開なので気兼ねなく書けるというのがありがたい。

またTwitterでログをさかのぼるのはなかなか骨が折れるが、テキストエディタならば一覧性も高い。まとまった形で引用したところを俯瞰的に眺めることもできるし、そこからさらに考えを深めることもできる。

これは常時他人のツイートが流れてくるTwitterではなかなかできない。

さらに読書メモを編集してコピペでブログに反映させることもできる。ブロガーとしてはテキストエディタを使わない手はない。

 

Twitterとは違って情報の取捨選択の自由が与えられるという点も評価できる。

Twitterを使って情報を集めるのは実際のところなかなか骨が折れる。

リアルタイムで反応しなければならない情報というのはそう多くないし、何よりノイズが多すぎる。

フォロワーが購入した本が気になったと思えば、次から次に本の情報が流れてくる。そこから逐一取捨選択をしていたのでは何かと無駄が生じてしまう。

自分の意思で、自分の都合に合わせて本を選ぶことの大切さを改めて実感する。

以前読書は精神の自由の象徴だという旨のことを書いた。

evie-11.hatenablog.com

読書が自由の象徴ならば、読書周りのこともできるだけ自由度が高く、秘匿性を高く保っておきたい。

これはここのところ考えていることなのだけれど、つながる自由もあればつながらない自由もある。

伊藤計劃虐殺器官』にはネットワークに接続しない人々が出てくる。

スマホ脳』や『デジタルミニマリスト』が大きな注目を集めている昨今、これからの時代はそうした人々のあり方が見直されてしかるべきなのかもしれない。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 
スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)