2021.04.04 文学を友とする

NHKラジオ深夜便 絶望名言』を読んで、小説熱が再燃し、ここのところこの本に沿って近代文学を読んだり、BANANA FISHに感化されて小説を読んでいる。

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冒頭から涙が止まらず、カフカドストエフスキーの絶望的な言葉の数々に、ようやく心に巣食った闇を掬いとってもらえた気がしました。人間不信状態はまだつづきそうですが、それでも文学が友でいてくれることは、かけがえのない支えになるのだということを改めて感じることができました。『カラマーゾフの兄弟』は読破したけども、『罪と罰』もぜひ読んでみたいです。絶望の先に光が見えるのかどうか、今はまだ分かりませんが、たとえすぐには立ち上がれなくても、なんとか生きていようと思います。

 

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急に何もかもがどうでも良くなってしまう。執着していたもののことごとくも、熱が冷めてそれきりになってしまう。トカトントンという音が聞こえたら、もう二度とは元に戻れない。死ぬかもしれないと思っていた夜を越えて、朝が来て、医師から心の一番大事な場所に土足で踏み入れられて、その怒りすらもぼんやりと記憶に靄がかかって、そうして忘れてしまうことでなんとか心は永らえようとする。トカトントンは私の耳にも聞こえていて、この小説の主人公も、そして私自身も、もうこの上もなく消耗しているから、きっとその音はひとつの救いなんだよ。
 

 

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どうしてこのタイミングでこの小説を読んでしまったのだろう。よりにもよって自責の念に駆られているこの時に。幸代の独白に何度も涙せずにはいられなかった。到底他人とは思えない。かつて投げつけられた医師の言葉を何度も何度も反芻して傷つきつづけているこの数日で、ようやく分かってくれる人を見出したような気持ちになった。やはり文学を友とせねばならない。どんな困難な時であっても。これまでの人生においてそうであったように。 

 

「しかし人間は、何か一つ触れてはならない深い傷を負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりをして生きているのではないのか。おれは、そう思う」──太宰治火の鳥

 

「自分がまるで、こんにゃくの化け物のように、汚くて、手がつけられなくて、泣きべそかきました。舞台で、私の着ている青い衣裳を、ずたずた千切り裂きたいほど、不安で、いたたまらない思いでございました。あたしは、ちっとも、鉄面皮じゃない。生ける屍、そんなきざな言葉でしか言い表せませぬ。あたし、ちっとも有頂天じゃない。それを知って下さるのは、あなただけです。あたしを、やっつけないで下さい。おねがい。見ないふりをしていて下さい。あたしは、精一杯でございます。生きてゆかねばならない。」──太宰治火の鳥

 

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BANANA FISHに引用されて印象に残った「キリマンジャロの雪」のみ読了。小説を書くことができずに病に冒されている身にとっては、主人公の悲哀が痛切に感じられ、こんなところで共感を覚える作品に出会えるとは思わなかった。「おれはあまりにも激しく愛し、多くを求めすぎて、そのあげく、すべてをすり減らしてしまったのだ」「あの地方での経験に基づいた素晴らしい素材を、彼は少なくとも二十は知っていた。それなのに、これまで一つとして作品化してはいない。なぜだろう?」ひとつひとつの言葉がダイレクトに心に突き刺さる。 

 

読んでいてつくづく感じたのは、どんな絶望の只中にあってもなお文学だけは私の友でいてくれるということだ。

たとえ誰とも分かち合いたくない悲しみを抱いていてさえも、文学はそっと寄り添ってくれる。これほど善き友人はいない。

自らが抱えるいかんともしがたいさまざまな問題について、文学はすでに答えを導きだそうとしている。かといって結果が大切だというよりは、そのプロセスにこそ文学の醍醐味があるのだろう。

BANANA FISHのOP曲、Survive Said The Prophetの「found & lost」 に

found & lost

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  • Survive Said The Prophet
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

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“答えを見つけたいんじゃなくて お前と旅をしたかっただけなのかも”

 という歌詞があるけれど、物語の出会いと別れは、まさにこの一言に尽きる。

その昔、高校時代の友人がCoccoを好んで聴いていて、「私の想いを歌ってくれているから好き」と云っていた。普段口数が乏しく、おとなしく穏やかな彼女の中にあれほどの激情が眠っているのだとはっとしたエピソードだった。

しかし人はそうして物語や音楽を求めるのではないだろうか。

やはり魂の深い場所で自分のことを分かってほしいと願っているのではないか。

人間関係をうまく構築できない私にとって、文学に触れることはその渇きを癒すことに他ならないのだと、今さらのように気づいた。

 

幼少期はただ無我夢中で一日一冊ペースで児童文学を読みあさっていて、大学生の頃までその幸福な時間はつづいた。

しかしうつを患って、文学にコンスタントに触れることがなかなか難しくなり、さらにコロナ禍で本を読めない時期も長くつづいた。

昨年はほとんど小説を読めないまま過ごした。

しかし数々の持病で弱り切った私にとって、文学は最後の砦であり、救いとなりうるのだと、今改めて文学と出会い直したような気持ちになっている。

 

人間の悲しみは相対化できるものではないと私は考えているし、Twitterに完全に戻るつもりがないのも、鬱ツイートをしたところで、あるいは他者のあいまいな共感めいたものを押しつけられたところで、私の苦しみが晴れることがないからに他ならない。

魂の深いところまで降りてきてくれるものを切実に欲するとき、文学は必ず光を与えてくれる。

そう信じられるようになって心から良かったと思う。

それだけが今の私にとっての唯一の救いなのだ。