2021.03.15-16 ふたたび近代文学を読む

ここ数日ふたたび近代文学に触れる機会があった。

横光利一の「春は馬車に乗って」「花園の思想」は、ここのところ体調を崩していることもあり、病みつかれた春に読み返したい作品で、とても他人事とは思えず涙を誘われた。

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ぼろぼろに泣きながら読了。病に冒された妻が夫を傍に留め置くということは、夫にとっては檻につながれていることに他ならないのだというところから涙が止まらなくなってしまった。病者の苦しみや悲しみ、切実さがぎゅっと濃縮された、私がもっとも好きな短編小説のひとつだ。詩情あふれる描写がまた悲哀を誘ってやまない。この作品を読んでから、毎春スイートピーを買って飾るようになった。この春も病に臥せる私をこの花がどれだけなぐさめてくれたかわからない。

 

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こちらも涙とともに再読。病室に花が溢れる描写の美しさが際立つ作品だが、それ以上に切ない夫婦のやりとりに涙せずにはいられない。「お前は何だか淋しそうだ。お前のお母さんを、呼んでやろうか。」「もういい、あなたが傍にいて下されば、あたし誰にも逢いたかない。」というやりとりから涙が止まらなかった。「あたし、あなたに、抱いてもらったのね、もうこれで、あたし、安心だわ。」と云う妻の愛らしさやいじらしさがまたたまらない。弱ってゆく妻の姿を、主人公とともに悲嘆にくれながら見つめ、その哀切の何とも云えない美しさに酔った。 

 

いずれも本当に美しく、切実な悲哀が描かれた作品だ。

 かねてから気になっている「乙女の本棚」シリーズからこの作品が発売されるとのことで、今からとても楽しみにしている。

春は馬車に乗って (立東舎 乙女の本棚)

春は馬車に乗って (立東舎 乙女の本棚)

 

 数ある近代文学の短編小説の中でもことのほかこの「春は馬車に乗って」は大好きな一作で、こうして美しい絵とともに鑑賞できるのが待ち遠しい。

 

また宮沢賢治作品も読み返すに至った。

先日主人と思想について語る場面があり、私の大事にしている思想にもう一度立ち返りたくて賢治を選んだ。

迷って立ち止まった時に、立ち返る場所があるということは本当に幸せなことだと思う。

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賢治の作品の中でも特に好きな小説のひとつで、梟の和尚さんの説法に毎回泣いてしまう。賢治の真摯な信仰の昇華として結実した見事な一作だ。「このようなひどい目におうて、何悪いことをしたむくいじゃと、恨むようなことがあってはならぬ。(…)よくあきらめて、あんまりひとり嘆くでない、あんまり泣けば心も沈み、からだもとかく損ねるじゃ」「なれども他人は恨むものではないぞよ。みな自らがもとなのじゃ。恨みの心は修羅となる。かけても他人は恨むでない。」 

 

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東逸子の美しい挿絵で描かれる『銀河鉄道の夜』。他にも複数の「銀河鉄道の夜」の収められた本を持っているけれど、その中でもひときわ美しく、この物語をより引き立てる美術書のような一冊だった。毎度のことながら蠍の話に泣いたのだが、燈台守の「ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」という台詞に涙してしまった。私が幸せにできる人はそう多くはないのかもしれないけれど、それでも近しい大切な人のために自分の生を使いたい。 

 

この東逸子が挿絵を担当する一冊は、かつてTwitterを通じて知ったものだが、架蔵しているいくつかの『銀河鉄道の夜』の中でもっとも美しい。

もともと東逸子というと、萩尾望都の『ポーの一族』の表紙を手がけていたこともあり、それを幼少期に図書館で借りて印象に残っている。

また私のバイブル、たつみや章月神』シリーズの挿画も手がけている。

月神の統べる森で

月神の統べる森で

 
地の掟 月のまなざし

地の掟 月のまなざし

 
天地のはざま

天地のはざま

 
月冠の巫王

月冠の巫王

 
裔を継ぐ者

裔を継ぐ者

 

そうした縁があってぜひとも手元に置きたいと思って買うに至ったのだった。

そうして『銀河鉄道の夜』を再読したことを主人に云うと、「俺も宮沢賢治を読みたいんだよなぁ」と云うので、この東逸子挿画の『銀河鉄道の夜』を貸すことにした。

実は主人からは以前清川あさみ挿画の『銀河鉄道の夜』をプレゼントしてもらっているのだが、本人はまだ読んだことがないという。

銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜

 

もちろんこちらも美しい一品なのだけれども、私としてはやはり東逸子挿画のものを推したい。

 

こうして近代文学をふたたび読むと、20代の頃とはまた違った、物語に触れる動機の切実さがあったり、解釈の視野が広がったことを実感する。

近代文学にどっぷりと浸かっていた20代を経て30代になった今こそ、近代文学の本当の魅力と価値を感じられるのかもしれない。

学生時代に多くの本に触れておくことの大切さは今更説くまでもないけれど、その先にまた豊かな享受の世界が広がっていることを心からうれしく思う。

 

そのためにもやはり孤独は必要なもので、周囲から注がれるまなざしをできるだけ遠ざけて、ひとりで文学の世界に足を踏み出さねばならないのだということを、Twitterを離れた今、実感している。

読書というものは孤独であってこそその真の価値が分かるのだろう。

そしてひとりきりで文学に触れて、それを身近な人々と顔を合わせ、あるいは声を重ねて分かち合う幸せは、決してネットのつながりだけで味わえるものではない。

文学の本物の豊かさをしっかりと味わい、その喜びを分かち合う人たちがいることに心から感謝したい。