病を受け入れて夢をあきらめかけた先に見えてきた景色

昨日はホワイトデーでした。

主人は友人たちと出かけたので、日中はひとりで過ごして、帰宅した主人からプレゼントをもらいました。

メリーチョコレートとサクラクレパスのSAKURA craft_lab 005ベビーピンクでした。

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主人は私が桜が好きだということもわかってくれていて、おまけにこのお品はオンラインでは買えず、わざわざ実店舗に足を運んで選んでくれたということが分かって、思わず涙してしまいました。

私がアナログノートを活用していることを念頭に選んでくれたのだそうで、細やかな心遣いを感じました。

季節ごとのイベントで盛り上がり、想いのこもったプレゼントを贈り合うことが私たちの楽しみなのですが、結婚した今もこうして気持ちの詰まったギフトを贈ってくれたことが何よりもうれしかったです。

 

平凡な幸せかもしれないけれど、私は病を受け入れて、作家になるという夢を半ばあきらめたことで、日々の幸せを今まで以上に感じられるようになったなと思います。

夢をあきらめる前はずいぶんと悩みましたし、周囲からも期待されていたので、その方々をがっかりさせることにならないか、不安に思っていました。

20代の頃はそうした平凡な幸せを軽んじて遠ざける節があって、作家になれなければこの人生はおしまいだと思っていました。

 

しかしうつを発症して、結婚して創作をいったんやめて、自分にできる俳句を詠んだり、詩を書くことで、見える景色が変わってきたなと感じています。

人と競う姿勢もなくなって、ずいぶんと生きるのが楽になりましたし、肩の力がほど良く抜けて、もっと自分の病気のこともきちんと受け入れようという想いに至りました。

これまではずいぶんと無理をして、云い訳は無用と、自分に鞭打って創作に励んでいましたが、だんだんそうした無理も利かなくなってきました。

梨木香歩西の魔女が死んだ』の中に有名な一節があります。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

 

「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」

結局病を受け入れるということは、病に逆らって足掻こうとせずに、数多くの制約の中で自分にできることを探るということなのかもしれません。

これまで私は生活の部分ではそうしたことを心がけてきたのに、どうしても夢だけはあきらめられずにいました。

しかし夢が20代の私自身をずっと苦しめつづけていたのだから、それをあきらめるということは、決して敗北ではないと信じたいです。 

 

 振り返ってみれば、私がもっとも幸せだと感じていた幼少期は、ただただ好きな本を読んで、気心の知れた妹と語らったり遊んだりしているだけでしたし、なにも創作をしていなければ私の人生は台無しになるというわけではないんだなと気づきます。

かといってすべてを辞めてしまう気にもなれないので、詩歌を作ることはつづけるつもりです。

そうして自分にできることをやっていれば、この幸せな日々もつづいていくのではないかと信じています。

時々心が不安に揺らぐことはあっても、主人と過ごしたかけがえのない時間は誰にも否定できるものではないから、それを信じて過ごしていきたいです。