それでもTwitterに戻りたくない理由

 

はじめに

ここ数日というものの、精神的に参っていることもあってなかなか思うように本を読めず、Twitterに戻りたい誘惑に駆られている。

結局のところ私にも承認欲求はあるのだろう。平時ならばほとんど気にならないことが、参っていると途端に心がざわめきだしてしまう。

ここで踏みとどまれるか、また戻ってしまうのか。

あいにくと私の意思の力は決して強くはない。

しかし何度も同じことを繰り返すのもいい加減嫌気がさしているし、このコロナ禍の状況でSNSに戻ることは決していい結果をもたらさないだろうと思っている。

 

村上春樹SNSをやらない理由に対して、Twitter民が些末な言動で噛み付くという至極どうでもいい代物を観てしまい、『村上さんのところ』ですでにインターネット全般から距離を置いていた村上春樹の慧眼を改めて感じずにはいられなかった。

村上さんのところ

村上さんのところ

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2015/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 読書家で知性のある人、ものの道理をわきまえている人はすべからくSNSから距離を置いている。私の周りの人もそうだし、主人の身の回りでもTwitterをやっている人はほとんどいない。

 池上彰佐藤優両氏もすでに2016年の時点で、これからのインテリ層はSNSから距離を置くだろうと述べている。

そうして近年はデジタル断食やスマホのもたらすリスクに注目が集まり、その流れは加速しつつある。

スマホ脳(新潮新書)

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という世の中の状況はここまでにしておいて、個人的にTwitterから離れて良かったことをまとめておきたい。

 

読書量が増えた

まずはこれを筆頭に挙げたい。

今年はTwitterから離れることも念頭に置いて、年間200冊を目標に本を読むと決めた。

現在200冊中、52冊を読んでいる。

昨年は下半期に100冊以上の本を読んだから、このペースでいけば目標は達成できそうだ。

しかしTwitterにいると、どうしても読書ペースが落ちてしまう。

私はSNS中毒になりやすいので、Twitterをやっていた当時は、どうしても一日中だらだらとTLを眺めてしまって無為な時間を過ごしてしまうことが多かった。

30代になったこともあり、時間は有限なのだから、もっと自分のベネフィットに適する使い方をしたいと常々思っていたし、そうした動機がTwitterから離れるきっかけを生んだ。

年間200冊という目標はどうしても達成したいので、Twitterに戻る合理的な理由はない。

 

他人の感想を気にせずアニメをどんどん観られる

主人と一日二話ペースで過去のアニメを観るという習慣が、生活にハリをもたらしているので、ぜひとも今後ともつづけたい。

Twitterから離れて良かったと思うことは、見知らずの他人の感想や、考えというレベルにも至らない、単に他人が思ったことを自分の中に取り込む必要はないし、触れる必要もないと思えたことで、自然とネタバレ防止にもなるし、自分だけのものとして作品をじっくり味わうことができる。

これは何にも勝る喜びだと云っていい。

けものフレンズを観たあとは3日ほど余韻にひたっていたのだが、それをけもフレ「ロス」という軽薄な言葉で表したくはないし、第一どんどん情報が流れてくる環境にいては、作品をじっくりと味わうこともできない。

どんどん感想ツイートを連投して、自分の中にしっかり留めておくこともできず、他人と否応もなく比較されたり、同じ秤にかけられてしまう。

これでは落ち着いて作品と向き合うことができない。

読書に関してもまったく同じことが云える。

読んでもいない本の書影で殴り合い、感想芸らしきポエムを連投していいねを稼いでいたのでは、作品に対する理解は深まらない。

 

ブログというスローな時間が流れる場所の居心地の良さ

ブログにはスローな時間が流れている。

一時間をかけてじっくりと記事を書き上げたり、予約投稿をしている間に記事に思いを巡らせて、公開までに適宜訂正を加えることもできる。

いわば読者との間にTwitterよりはフォーマルな時間が流れている。

時間をかけてより良い記事を書き、できるだけ丁寧な姿勢で読者に供すること。

あるいはその時間で自分の思索をより深めていくこと。

どちらもブログという場があってこそ成り立つものなのだろう。

Twitterはとにかく即時性が命で、物事を深く考えたり、対象について思いを巡らせたり、あるいはこの言葉はやや不適切だから訂正しようということができない。

とにかくせわしない時間が流れ、個という空間は喪失してしまう。

ブログではまだかろうじて個人的な空間を確保できる。これがやはり私にとっては大切なことなのだろうと思う。

 

焦りを覚えずに自分の創作とじっくり向き合える

そして私にとってはこれがもっとも重要なことだ。

Twitterにいるととにかく成果主義で、どんどん作品を発表しなければフォロワーの中に埋もれてしまう。当然試行錯誤をする余地も、模索する余裕もなかなか許されない。

しかし創作は模索を続けなければ、より高みを目指すことはできない。

評価されるものの傾向を掴んでいるのも良し悪しで、結局似たような型にはまったものばかり作ってしまうことや、小説をなかなか書けない時期はとてもつらい思いをしていた。

気づけばフォロワーの中には抜きん出た才能を持つ人々がたくさんいて、次々に世に出て行く。その焦りの中で創作と向き合わざるを得ないことがとても苦しかった。

Twitterを離れた今、私は細々と俳句を詠んで詩を書いている。

小説を書けるのはまだしばらく先になりそうだが、またいつかきっと戻れると願って、今は詩歌を作ることに励みたい。

つづけていれば、あきらめなければ、きっとどこかでまた道はつながっていくと固く信じたい。

たとえそれらでプロになれなかったとしても、それで私が敗退したというわけではないのだと、Twitterを離れてようやく気づいた。

何者かにならねばならないという焦りは、今ではだんだん薄れつつある。

趣味で詩歌を作ることや、小説を書くことそのものが喜びであるのなら、それに越したことはない。

 

おわりに

この文章を書いている間に、いくらか気持ちの整理もついたし、やはりTwitterに戻っても百害あって一利無しだということに気づいた。

創作と作品を受容することは切っても切り離せない関係にある。

その両者を大切にして、時間をかけて自分の中で創作の芽を育てていくためにも、やはりTwitterからは距離を置きたい。

20代、特に後半に至っては、多くの時間をTwitterに割いてきた。

そのことを未だに悔やんでいるし、30代はもっと自由に、自分の好きなものを大切に抱きしめて過ごしたいと思っている。