俳誌を買うこと、俳句を読むこと、選ぶこと

 

俳誌を買うこと

時々、気が向いた時に俳誌を買って読んでいる。

買うのはもっぱら『角川俳句』で、なんとなく元気のないときに手に取って読むと、心のなぐさめになったり、俳句を詠むモチベーションをもらうきっかけになっている。

ここしばらく買っていなかったのだが、また俳句を詠みたいという思いもあって、今月号は買いたい。

俳句 2021年3月号 [雑誌] 雑誌『俳句』
 

私はもっぱらアマチュアとしてひとりで俳句を詠んでいて、座の文芸たる俳句の妙味はよくわからないし、どちらかというと耽美的な俳句が好きで、俳味のなんたるかもわきまえていない。

そういう人間が俳句をやってみようと思うこと自体、本来間違っているのかもしれないけれど、アマチュアなのだから自分の好きなように詠もうと思って、これまで俳句を詠んできた。

型の芸術の型をわきまえずに詠んでいるという負い目はあるし、もっと謙虚に学んでいかねばならないとも思う。しかしどうしても関心を持てない。

『角川俳句』はそうした私の姿勢を正す節があるのだろうなと思って手に取ったのだが、現代ではもはや前衛も後衛も混ざり合っていて、いろんなバリエーションがあるということを実感するに至った。

私の俳句も、もしかしたらこの世のどこかに居場所があるのかもしれない。

そういう心のなぐさめを見出すために『角川俳句』を読んでいるという一面はある。

しかし他方では、それだけにとどまらずに、現代俳句の可能性が開かれていることを知るために読んでいるという節もある。

自分の知らない、もっと広い世界を見てみたい。

そのわくわくと心を刺激されるような楽しみが俳誌にはある。

 

俳句を読むこと、選ぶこと

以前、『角川俳句』に「俳句のカラオケ化」という辛口な論評が出ていた。

俳句を読むことなく詠んでいる人間への批判を述べたものだが、これはなかなか私の心に深く突き刺さった。

まだまだ読む量が足りていないことは痛感していて、詩歌に関してはもっと量をこなさなければならないという思いがある。

しかし自分の胸の内で思っているだけでは、ふとしたときに忘れてしまったり、「これはとっておきだから、よほど参っているときに読もう」と、読むのがもったいなくて積みっぱなしにしてしまう。

そういう時に他者の言葉が背中を押してくれると、ようやく背筋を伸ばさねばという思いに駆られる。

ひとまず『角川俳句』に加えて、『富澤赤黄男 高屋窓秋 渡辺白泉集』と『西東三鬼集』は買わねばと思う。

 後者に関しては図書館で借りたのだが、これは手元に置いておかねばという思いに至った。角川文庫版の全句集を買ってもいいのだが、私のような素人は全句集に触れるよりも、重要なエッセンスを抜き出した本を読んだ方がいいのかもしれない。

なにより、すでにこの朝日文庫の『橋本多佳子 三橋鷹女』集を持っているので、三冊揃えると見栄えもそこそこ良いのではないだろうかという思いもある。

もちろんハードカバーの句集に比べれば見劣りはするけれど、さほど知識があるわけでもないし、素人目に見て句集の中から佳句を選べるとは思えない。ここは知見のある編者の力を借りたい。

 

著者の人となりを知るには複数の著作に触れることが肝要だということは先日記事に書いた。

evie-11.hatenablog.com

しかし同時に編集・編纂の力を軽んじるわけにはいかない。

本が編まれるということそのものに専門家の知見が生かされ、俳句の場合は、選句そのものが俳句を見る目の良し悪しに左右されることを考えると、決して無下にはできない。

特に私の場合は全くの素人なので、できるだけその道の知見を持った人の力を借りることは大事なのかもしれない。

そうして選び抜かれたものに触れることも、多くの著作に触れるということ以前の段階では特に重要になってくるのだろうと思う。

たとえば万葉集に触れようとするときに、はじめから万葉集をすべて通読するよりも、やはり中西進先生の『万葉の秀歌』を読んで、歌の良し悪しについて考えを巡らせることも、ひとつの勉強になるのではないだろうか。

少なくとも私はそうして万葉集に触れたし、新古今和歌集百人一首では白洲正子の透徹した審美眼のお世話になった。

万葉の秀歌 (ちくま学芸文庫)

万葉の秀歌 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:中西 進
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: 文庫
 
花にもの思う春 (平凡社ライブラリー)

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  • 作者:白洲 正子
  • 発売日: 1997/07/14
  • メディア: 文庫
 
私の百人一首 (新潮文庫)

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 そうして先達の力を借りながら、たとえ俳句の型を徹底して守らないにしても、できるだけ学ぶことに関しては謙虚な姿勢で臨みたい。

そうして詩歌に触れる地力をつけていくことが、おそらく詩歌を作る上でも大きな役割を果たすのだろうと思う。

こうして古典の詩歌にもしっかり触れながら、現代の詩歌についてももっと貪欲な気持ちで学んでゆきたい。