人となりの総体としての読書の役割

ここのところ本を読んでいて、著者の姿勢に違和感を感じるということが何度かあって、自分の感じ方や本の読み方が良くないのではないかと少し思い悩んでいました。

このことについて具体的に掘り下げて書いてみたいと思います。

 

最近、一田憲子さんの『日常は5ミリずつの成長でできている』を読みました。

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「北欧、暮らしの道具店」でたびたびエッセイや動画を拝見して、すっかり一田さんのファンになってしまい、とても期待しながら読みました。

 

 

 

  

ところが本の内容は残念ながら私の楽しみにしていた内容からは少し外れていて、一田さんが外の情報に触れて気づいたことや発見したことを綴ったものが多く、彼女自身のオリジナリティがあまり感じられませんでした。

私としては、一田さんが自らのことを自らの気づきを元に発信する言葉を期待していたのです。

編集者としての気質がそのような語り口を生むのかもしれないと思いつつ、やはり彼女自身の言葉をもっと読みたかったなという思いに駆られました。

 

しかしそのようなことを感じるのも、前もって一田さんの発信するご自身の言葉に触れていたからこそなのです。

もしもこの本一冊だけを読んでいたら、そういうことは考えなかったかもしれません。

複数の著作やその人の情報に触れてようやく分かることがあるのです。

少々残念な気持ちになりましたが、一冊読んだだけではやはりその人の人となりを知るには不十分なのだなということも実感しました。

 

同じことは美術キュレーターでライターの橋本麻里さんにも云えることで、私はNHKテキストの『趣味どきっ! 本の道しるべ』というムック本を買って読みました。

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しかしこちらも橋本さんの、本好きにはたまらない、修道院の図書室のようなお宅のお写真に惹かれる反面、紹介されている本が少なく、また特にご専門の美術関係の本が少なくて、なんだか物足りなく感じました。

ところが先日買った『芸術新潮2月号 愛でたい読書』には、橋本さんおすすめの美術書がぎゅっと詰まって紹介されていました。

読みたい本がどんどん出てきて、読み終えてさっそく読書メーターに登録をしました。

やはりこちらも一冊だけを読んでいたのでは、橋本さんの本領発揮を窺い知ることはできなかったと思います。

どうしても雑誌という媒体の特性上、ご本人の魅力が薄まってしまうのはいかんともしがたいのですが、それでも複数の本に触れることの大切さをここでも改めて感じました。

 

これまでそうしたことは近代文学の場でも個人的に行っていて、萩原朔太郎の詩と再会したときには、図書館へ行って全集本をチェックしたり、弟子の三好達治の朔太郎に関する評論を読んだり、青空文庫で随筆も読むなど、できるだけ幅広く彼の著作に触れるようにしていました。 

evie-11.hatenablog.com

読書にそういう幅を持たせることは、大学を出て自分で学んでいかねばならないという今の状況において、ますます重要性を増していると感じます。

私は文学を専門的に学んだわけではないので、できることも到達できる地点もやはり限られてしまいますが、それでも自分にできることとして、一冊きりでその人のことをあれこれと論じてもあまり意味がないなということは肝に銘じたいところです。

 

村上春樹も『職業としての小説家』の中で、人を観察することに関して判断を保留し、その人の総体をできるだけ自分の中に保存しておくことの大切さを説いていますが、本でもまったく同じことが云えるのだろうなと思います。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 今後ともこの点に留意しつつ、一冊読んで合わないからやめるのではなく、できるだけ幅広く読むことを心がけようと思います。

すべての著者にそのようなことができるわけではありませんが、少なくとも自分が何らかの違和感を持つということは、翻して云えば、その人に多少なりとも興味や関心を持っているということなのでしょう。

そこからさらにその人の人となりを知るということは、リアルの人間関係でも、あるいは本という媒体を通してでも、あまり変わらないのだと思います。

単にその著者が好きだから多くの著作を読むことから見ると、ちょっとひねくれた方法かもしれませんが、それでも一冊きりで判断を下さないということはこれからも心がけておきたいです。