ゾンビランドサガを観て創作のモチベーションを奮い立たせたこと

主人が観たがっていたこともあり、ネトフリでゾンビランドサガを完走しました。

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終始ハイテンションながらも、キャラクターの掘り下げもしっかりなされていて、毎回楽しく鑑賞しました。

紺野純子ちゃんが最推しで、水野愛ちゃんとのコンビが好きです。

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終盤のさくらちゃんのバックグラウンドが明らかになっていく展開で、愛ちゃんが

私は失敗したり後悔することを

全然ダメだと思わない

そういうの全部踏み越えた先に誰にも負けない私がいるって思うから!

 という台詞を放って、いたく感銘を受けました。

 

小説に向き合うことがどうしても難しくなって、詩歌も耽美主義という型から脱しようと模索をつづけていて、「本当に何も形にならないなぁ」とがっかりしていましたが、ゾンビランドサガを観ていると「発展途上ってこんなに面白いのか!」という発見がありました。

発展途上だからまだまだ上を目指せる。失敗をしても挫けずに前へと進んでいく。

その姿に大きな勇気と感動をいただきました。

そうした彼女たちの姿勢がにじみ出た曲である「ヨミガエレ」を何度もリピートしています。

ヨミガエレ

ヨミガエレ

  • フランシュシュ
  • アニメ
  • ¥255
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music.apple.com

私はホラーを書くことから逃げていましたし、詩歌も勉強不足であるのをずっと負い目に感じていました。

気持ちが挫けそうになって、自分の実力の限界に心が折れそうになっていました。

それでも創作は本来、青天井みたいなもので、どこまで行っても限りはありません。

その恐ろしさの前に立ちすくみそうになっていましたが、逆に云えば可能性はいくらでもあるということになります。

ホラーを書くことに対してネガティブな想いを払拭できなかったり、耽美主義から離れて新たな創作の型を模索しようとしていることに対して、不安に想う気持ちが強かったのですが、新たな可能性を探っていなければ次のステップへ行くことはできません。

ここで屈するか、それとも前に進むのか。

その二択が今私の目の前に立ちはだかっているのだと思います。

 

詩に関して云えば、前衛芸術という側面を捉えてみても、ひとつのところにとどまってはいられません。

たとえ失敗したとしても、中途半端に新しい方向性を探ってモノにならなくても、それでも挑戦をつづけなければ、詩は停滞して力を失ってしまいます。

たとえばかつて私は萩原朔太郎の詩を読んで、その作風の変化と衰微を目の当たりにして、「初期の方がいいのだから、初期のままつづけていれば良かったのに」と思わずにはいられませんでした。

 しかしどうしてもそういうわけにはいかないのだということが、今回身にしみてわかったのです。

たとえ初期の方が良いと評価されるにしても、それでも変化を求めつづけなければ、萩原朔太郎という人が詩作をつづけることはなかったのでしょうし、時代や環境の変化に伴って作風が変わってしまうことを、私はあまりにもネガティブに捉えすぎていたのだと気づきました。

 

そして小説もまた同じことが云えるのだろうと思います。

村上春樹も職業としての小説家の中で次のように述べています。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 そして小説家にとって「落ち着くべき場所にすんなり落ち着く」というのは、率直に言わせいただければ、「創造力が減退する」のとほとんど同義なのです。小説家はある種の魚と同じです。水中で常に前に向かって移動していなければ、死んでしまいます。

 ホラーを書くということが、私にとっては青天の霹靂だったので、うまく状況を飲みこめずにいたのですが、今はこれも新たな変化だと思って、きちんと地に足つけて向き合おうと思います。

その結果うまくいかなかったとしても、挑戦をすることそのものに意味があるのだと今ようやく実感できました。

 

体調の悪化もあって、小説を今すぐ書くということはなかなか難しいですが、今は詩作を通じて少しでも創作をつづけていこうと考えています。

たとえ泥水を啜ってでも、小説を書けずに詩歌という形でつなぐことになったとしても、創作とともに生きていたいという想いで日々を過ごしていて、まだまだ私の模索はつづきますが、それでも新たな一歩を踏み出して、これからも精進していきたいです。