2021.02.04 スマホ脳を読む
はじめに
書店で新書ランキング1位となっていたアンデシュ・ハンセンの『スマホ脳』を読んだ。
もともとこの系統の本だと、『デジタル・ミニマリスト』を読んでいたので、おおむね似たようなことが書いてあるのだろうと思っていたし、実際その通りだった。
どちらかというと『デジタル・ミニマリスト』の方が実践的な色合いが濃い。
実際にデジタル断食をするのに、どのようなことをすべきかということに関しては、後者の方がより具体的に書かれている。
『スマホ脳』の説くデジタル断食×運動の実践
運動の効果
私はTwitterから離れて一ヶ月以上が経ち、スピンバイクによる運動をはじめて二週間近くが経つので、おおむね両者の説く「デジタル断食をして運動をすべし」という内容を実践しているということになる。
その経緯については別ブログにも再三書いているので、繰り返しは避けたい。
デジタル断食における旧型iPhoneの効用
デジタル断食に関してはまだまだ徹底できていない部分はあるけれど、2016年に発売された旧型のiPhone SEを未だに使いつづけている理由のひとつは、スマホに時間を割きたくないからだ。
未だに旧式のiPhone SEを使っている人はそう多くはないだろう。
実際のところ32GBしかないストレージはあっという間にいっぱいになるので、アプリもたくさんは入れられない。ゲームアプリなどデータ量の多いものはもってのほかだ。
Twitterのアプリも入れる余裕がないというのが現状で、気がつけば非アクティブのアプリは勝手にスマホ上から取り除かれている上に、おまけに電源もいきなり落ちる。充電もほとんど保たない。
写真を撮ろうと思うとストレージがいっぱいだというアラートが表示されるので、定期的にGoogleフォトに移し替えているが、さまざまな事情がiPhone側にもあるらしく、そのスパンも短くなってきた。私は機械音痴なのでどのような事情なのかよくわからないが。
だがスマホに時間を費やしたくない身にとってはこれぐらいがちょうどいい。
骨董品のようになったiPhoneにもそれはそれで趣がある。
Twitter→瞬間日記に移行して
これまでこちらにも何度か「Twitterから離れる」という趣旨の記事は書いてきた。
いずれも失敗に終わったり、結局何度もTwitterに戻る羽目になってしまっていたのだけれど、今回は日記アプリ「瞬間日記」と運動というタッグがあるため、これまでに比べてTwitterに戻りたいという気持ちはかなり抑えられている。
もともとTwitterにいた頃から「よりクローズドなSNSに移行したい」という気持ちが強くあって、「じゃあLINEでいいんじゃない?」と主人に云われて、「それでもカバーできない部分があるんだよなぁ」と思っていた私にとって、気兼ねなくいろいろなことを書きこめる日記アプリはうってつけの品物だった。
誰に見せるわけでもないので、読書記録やコスメの写真で自分自身を鼓舞することもできるし、あるいはメモ代わりに使うこともできる。
日記アプリを通じて、「人とつながらないことがこんなに快適なんだ」と気づくことができた。
これからの創作のこと
創作から距離を置いているからこそ、Twitterの誘惑を退けられているとも云えるのだが、たとえ創作を再開したとしても、Twitterに依存しない形で再開できればいいなと考えている。
同人をつづけるにも、あくまでもオンライン上、あるいは電子書籍での活動に絞るつもりだし、宣伝に血道を上げることはしないだろう。
実際のところ、Twitter→カクヨムはパイプが通じていると感じたけれど、KDPとなるとなかなか難しいのが実情だった。同人誌もそれは然りで、あくまでも無料コンテンツを手軽に楽しもうという意識が強いのがTwitterだと感じた。
そういう点でもTwitterを通じて活動の幅を広げるには限界がある。
それに本音を云えばやはりプロを目指すために、投稿に専念したいという想いもある。
創作に関してはここ最近は「もうやめてもいいかな」と考えていたのだけれど、「やはりいつかはこれを掘り下げて書かねば」という個人的な出来事があった。
それを糧として、プロの先生からも勧められている「望月すみれに近寄ってはいけない」のリメイクを書きたい。
いわば私は創作からはじめてようやく自分の中にある要素から自発的に物語を立ち上げようとしているのであって、Twitterにいたときのように自己顕示欲や承認欲求に急かされて物語を作るのではない。
だからTwitterでの宣伝を必要としないだろうと今は確信を持てるし、たとえそれで作品の評価の如何が決まったところで、私は前ほど頓着しないだろう。
第一、私の小説の多くはさほど読者を獲得できないし、評価も多くはない。
もともとそれを深刻に悩んでいたわけでもないし、読者を過剰に意識して小説を書いていたわけでもないので、むしろ余計な要素がすっきりと取り除かれてせいせいしている。
それでもTwitterをやめる前は、29歳という年齢もあって「30歳までに何者かにならねば」という強い焦りがあったのだけれど、私は私の領分をわきまえて戦えばいいのであって、少なくともネット上で何者かになる必要性は微塵もない。
20代では誰もがSNSを通じてインフルエンサーになれる可能性を持っているけれど、30代になって愚直に自分の道を貫きつづけるのは本当に難しいのだということを、今痛感している。
仮に誰にも読んでもらえなかったとしても、私は私の作風でしかものを書けないし、20代で掲げた耽美主義の旗を下ろさずに走りつづけるしかない。
たとえ何者にもなれなかったとしても、私は私の道を貫き通したい。
春になったら創作を再開するつもりなので、そこに向けて今は生活を整えているところだ。運動を通じ、また読書を通じて、自分の中に物語を作っていくだけの力と余裕を蓄えていきたい。