2021.02.03 いつまでも変わらずにいられなかったこと悔しくて指を離す

変化とか、別離とか、そういうものが極端に怖い。

大学生の頃に音信不通になってしまった友人知人は何人かいて、彼ら彼女らのことを思い出すたびに心が痛むし、そうして別離を繰り返しながら人は大人になっていくのだろうと思っていたけれど、30歳になってもちっとも大人になれない。

同じ失敗ばかり繰り返して、いつのまにか、あるいは必然的な理由で離れてしまった人のことばかり考えて、少しも前に進めない。

そういう喪失と深い悲しみを時が癒してくれるのを待つのもつらいから、アニメを観たり本を読んだり、あるいはそこから創作へ向かっていくエネルギーが生まれてくるのだろうと思う。

 

そういうわけで村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を切実に読みたいのだけれど、あいにくとまだ注文してすらいないので、漱石の『こころ』を再読している。

ちなみにシモーヌ・ヴェイユが読みたくて、注文する前に手元にある聖書を読んでいたこともあって、その後ヴェイユは肌に合わずに聖書の方がしっくりきたので、今回も同じ道を辿ることになるかもしれない。

本というものは得てしてそういう不可思議な縁があると思っている。 

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)

 

夏目漱石の『こころ』を読んでいると、学生の頃に読んだ時には分からなかった先生の気持ちが、30歳となった今は痛いほど分かって胸が苦しい。

 「然し君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」 

 

「然し気を付けないと不可ない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代わりに危険もないが、──君、黒い長い髪でしばられた時の心持を知っていますか 」

 

「然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです」」

 ひとつひとつの「先生」の言葉が私の心に深く突き刺さり、心の傷をえぐってゆく。これはなかなか生半可な覚悟では読めないだろうなと思って再読しはじめたけれども、案の定だ。

私のここ最近の境遇については多くを語りたくないので語らないにしても、私が過去に出会った男女へのさまざまな恋心が、強い罪悪感と後味の悪さに変わりつつある今、このタイミングで読むしかない一冊なのだろうと思っている。

ちなみに主人との結婚生活は順調だけども。

 

10代の頃はもっぱらファンタジーに傾倒し、20代の頃は文学に求めるのはただ「美」の一点張りで、そうした憧憬が鏡花を引き寄せ、あるいは谷崎を愛する気持ちに結びついていたのだろうと思うのだけれど、30代になった今は、この切実な想いを埋められるのは「物語」しかないという確信を抱いている。

いわば私ははじめて「物語」に主体として加わるだけの切符を手に入れたのかもしれない。

「物語」との付き合い方が変わってきたことは実感していて、その一部はこちらにも書いたとおりだ。

evie-11.hatenablog.com

私自身は30代までに作家になりたいと考えていたのだけれど、20代と30代では感じることも、考えることも全く違う。

持病で人並みほどにも働けず、今は専業主婦をしている身ではあるけれど、それでも30代になったから分かることも少しずつ増えてきた。

焦りばかりが先行していた昨年とは違って、今はもう少し物語と正面に腰を据えて向き合えるようになってきたのだろうと思う。

すぐに創作の場に戻るつもりは今のところないけれど、それでも少しずつ物語を自分の中に取り込みながら、自分自身と向き合い、気持ちの落としどころを見つけて、創作の糧としていきたいと願っている。