自分軸で生きること

Twitterから離れて、創作からも距離を置いて、しばらくの間はずっと葛藤をしていました。

創作もやっぱりつづけたいし、Twitterのフォロワーさんとも交流したいという想いがありました。

それでも創作をすると調子を崩してどうしても主人に迷惑をかけてしまうのがつらくて、小説は書かないまでも、せめて活動の幅を詩歌だけに絞ろうかとか、さまざまなことを考えた一ヶ月でした。

 

それでもTwitterを離れ、創作を休んで運動をはじめたところ、もはやTwitterに戻りたいとも思いませんし、「創作をつづけていかなければ、あるいは作家になれなければこの人生はおしまいだ」という想いからも解放されました。

結局私は創作やTwittterを通じて、他人の顔色ばかり伺って、自分軸で生きていなかったのだと思います。

他人に評価されることを前提として本を選んで読んだり、作品を作っていたのだなと。

だからむやみやたらに人と比べて落ちこんだり、自分のことを好きになれずに凹んだり、トレンド欄やさまざまなニュースなど、ちょっとしたことですぐにイライラしてしまったり、そうして自己嫌悪のループに陥っていたのです。

もうTwitterに戻りたくないという気持ちは日増しに強くなっています。

Twitterにいた頃の私は、私の理想とする人間像からはかけ離れていましたし、同じ過ちを繰り返したいとは思いません。

 

そうした他人軸で生きることから脱して運動をはじめて、さまざまなメリットが得られたことは最近別ブログにも書いているのですが、そのひとつに体力の向上があります。

おかげで、読書をしていても以前は50ページ読むのがやっとだったのが、丸々一冊読んでも疲れなくなりました。

集中力も格段に上がって、これまでは20分集中するのがやっとでしたが、アニメを二本、あるいは映画を一本観ても集中力が損なわれなくなりました。

そういうフィジカルの側面を強化することは、メンタルの部分にも良い影響を与えているようで、まさに村上春樹が『職業としての小説家』に書いていたとおりだなと感じます。 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 おそらくこうしてフィジカルの調子を整えていけば、創作をはじめてもある程度メンタルも持ちこたえられるようになるかと思います。

そこを目指したいというのが本音ではありますが、今は自分の体調を整えることに専念するつもりです。

私は憑依型の書き手なので、創作をしているとどうしてもメンタルが不安定になりますし、とにかく健康第一でないと、継続的に小説を書いたり、詩歌を作ったりすることはできないのだなということをつくづく痛感しています。

気力だけを振り絞って書き続けられた10代20代はすでに過ぎ去ってしまいました。

30代は何をするにも身体が資本になるのだなということを肌身に感じています。

 

この先、またいずれ創作を再開することになるにしても、少なくとも以前のようにTwitterで作品を公開することはないと思います。

ネットでの公開も場合によっては見送って、投稿に専念するかもしれません。

ネットという場にいると、どうしてもTwitterでの宣伝という付属物がつきまといますし、それはTwitterに戻りたくない私にとってとても煩わしいことに他なりません。

文芸同人は20代のうちにそれなりに楽しんだので、30代は投稿に専念する10年にするという目標を立てるのもいいのかもしれません。

 

いずれにせよ、今はまだ英気を養って、少しでも良いバランスで生活を送れるように、組み立て直している状況です。

Twitterでしょっちゅう人と自分とを比べていた頃と違って、あまり焦る気持ちもないので、とにかくじっくりと時間をかけて自分の創作を作る余地を生み出していきたいと思います。

書きたいものはある程度明確に持っているので、これまでと違ってあまり迷いもありません。ホラーにせよ、ファンタジーにせよ、私の書きたいものはただひとつの大きな方向性を持っているということは、以前にも書いたとおりです。

evie-11.hatenablog.com

その光を見失わない限りは大丈夫だろうと思います。

とにかくあまり焦らずに、それでも着実に歩みを進めていきたいです。