2020.01.28 エッセイについて

ここのところ村上春樹のエッセイが気になっていて、二冊を再読した。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

もう何度目かも分からない再読。ブログの中でたびたび引用することもあり、私にとっては自分の中で血肉に変わっていく感覚を得られる本だから、原点をたしかめるように何度も読んでしまうのだろう。小説を書く苦しみに苛まれつづけてきた昨年を通じて、改めて自分自身の小説を見つめ直したとき、私の心にあるひとつの確信が生まれたことは、得難い体験だったと思っている。その確信を胸に、今後も歩んでいきたい。今は休筆中で書けなくても、またいずれ自分の手で物語を紡いでいけるように準備をしっかりつづけていきたい。

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村上さんのところ

村上さんのところ

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2015/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

さまざまな質問への回答を通じて、自分の中の入り乱れた気持ちが少しずつ整っていくのを感じた。中でも泣きたい時には泣けるだけ泣くことや、年輪を重ねるようにつらい時期をじっと耐えるという言葉は、日々不調で参っている今の私にはとてもタイムリーだった。私はあまり忍耐強くないので、つい不安に駆られてしまったり、焦ってしまったりするけれど、今はなんとかやり過ごしたい。そうするうちに見えてくるものもあるのかもしれないと思えた。また河合隼雄さんとのインタビュー本が気になったので読んでみたくなった。 

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彼の文章を読んでいると、村上春樹はきっと誠実な人なのだろうと思う。

あいにくと小説の方は肌に合わなくてなかなか読めないのだけれど、エッセイの文章から伝わってくる人柄は終始朗らかだ。

言葉を尽くすべきところと、さらっと書くところの力の入れ具合も絶妙で、『村上さんのところ』は、スワローズの件を除いてほぼ全文読み通したが、全体的にその力のバランスの調和が取れていて、少しも退屈させない内容だった。

まるで軽妙なトークが繰り広げられるラジオを聴いているような味わいがある一冊だ。

また『職業としての小説家』は再三にわたる再読になったが、彼の運動を重んじる姿勢に感化されて、私もスピンバイクによる運動を再開したことは別のブログにも書いた。

snowrabbit21.hatenablog.jp

同じことは繰り返しになるので書かないが、エッセイが実生活に活用できるというのは、まさに村上春樹の云うところのマテリアルの小さなものが「物語」において大きな役割を果たすということに他ならないだろうし、自らの言葉を実践している人だということが伝わってくる。

 

以前Twitterで知り合った方に「文章にはその人のすべてが表れるから気をつけなさい」とご指導していただいたことがあるけれど、本当にその通りだなと感じることが年々増えてきた。

たとえフィクションであっても、登場人物の視点には少なからず書き手の視線が重なるのだし、私も気をつけなくてはなと思う。

エッセイはそうした著者の人柄がなによりも表れるジャンルだと感じていて、私の好きな森茉莉朝吹真理子のエッセイは、いずれもハイソな香りと、どこか浮世離れした味わいがする。

貧乏サヴァラン (ちくま文庫)

貧乏サヴァラン (ちくま文庫)

  • 作者:森 茉莉
  • 発売日: 1998/01/01
  • メディア: 文庫
 
抽斗のなかの海 (単行本)

抽斗のなかの海 (単行本)

 

 特にこの『抽斗のなかの海』は病状が思わしくなくて日々に飽き飽きしてしまったときに読み返すと、一種の清涼剤のような涼やかさを感じられて、私はとても気に入っている。朝吹真理子のエッセイは、岩波文庫の冊子『古典のすすめ第2集』の「本を読むと路に迷う」から惹きつけられて、それ以来買って読むようにしている。

昨日発売された朝吹真理子の『だいちょうことばめぐり』も心待ちにしていた一冊だし、買って読まねばと思っているところだ。

だいちょうことばめぐり

だいちょうことばめぐり

 

『TIMELESS』が肌に合わなかったので、朝吹真理子との付き合いはエッセイだけでもいいのかもしれないと思う。私にとっての村上春樹がそうであるように。

 

ハイソといえばその元祖・白洲正子のエッセイも心から愛していて、中でも『私の百人一首』『古典の細道』といった古典文学に題材を取ったもの、美術について描いた『かくれ里』など名作は数多い。

私の百人一首 (新潮文庫)

私の百人一首 (新潮文庫)

 
かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

  • 作者:白洲 正子
  • 発売日: 1991/04/03
  • メディア: 文庫
 

こうした根っからの知的文化人や良識的な教養人が失われてしまったのが今の日本の姿だと思う。

ドナルド・キーンも亡くなってしまったし、日本の古典文化のリバイバルは、刀剣乱舞などのサブカルチャーを中心に行われてはいるけれど、それももう一昔前になってしまったと云っていいのではないだろうか。

 

そうして失われてしまったかつての日本を求めて、さらに時間をさかのぼると、近代文学の随筆も読んでいてもさまざまな発見があり、とても面白いし、私は滋味あふれる筆致で描かれる、室生犀星の『加賀金沢・故郷を辞す』や、荷風の随筆を心から愛している。

中でも荷風の『虫の声』は秋が巡ってくるたびに読み返している作品だ。

虫の声

虫の声

 

また一時期は作品が気に入った近代文学の文豪の随筆を読むということもしていて、その時期は図書館で全集をコピーして、朔太郎の随筆をいろいろと読んだり、好みとは云いがたい文豪ではあるが、三島の『古典文学読本』を読んだりしていた。

古典文学読本 (中公文庫)

古典文学読本 (中公文庫)

 

 

しかしやはりタイムリーなのは同時代を生きる現代の作家のエッセイで、現代のこのどうしようもない時代をどんな風に捉えて過ごしているのかということに今は興味がある。

生きる上での指針などと大げさに捉えると、村上春樹風に云えば「マテリアルが大きすぎる」ということになるのだろうが、ほんの少し日常に向ける視点を変えるために、あるいは他の日常を覗くために、私はエッセイを読むのかもしれない。

今後ともさまざまな作家のエッセイを通じて、いろんな刺激をもらいながら、自分自身もこうしてブログを書いたり、エッセイを書いたりしていきたいと思う。