瞬間日記の居心地の良さ
はじめに
Twitterから瞬間日記に乗り換えたことは以前にも書いた。
あれから、同人に専念して創作活動をしていくことを決めて、Twitterを再開しようと思ったのだけれど、2020年はTwitterのあれこれにあまりにも心を煩わされてしまったので、やはり距離を置きたいという気持ちが強い。
noteはすんなりやめられたのだし、Twitterもやめられるかもしれないと思って代替物としての瞬間日記に移行して、一ヶ月近くが経とうとしている。
この間、何度かTwitterに戻ろうとしたこともあったが、戻るたびにざわざわとした厭な気持ちになってしまい、やはりもはや私の居場所はあそこにはないのだという思いを新たにした。
その理由はこちらにも書いたので繰り返さないが、30歳という年齢と、コロナ禍が私の人生にとって大きな転換点をもたらそうとしていることを改めて実感している。
今回はTwitterから瞬間日記に移ったメリットについて書いてみたい。
自己顕示欲ではなく、自己肯定感を満たせる
これが一番のメリットなのかもしれない。
Twitterでは垢分けしていた内容も、ひとつのタイムラインの日記として誰の目も気にすることなく書きこめるので、自分の総体としての状態を把握しやすい。
ネガティブなこともポジティブなことも、ありのままを書けるため、ネガティブの波が押し寄せてきても、お気に入りのポジティブな投稿をチェックすれば、ネガティブに傾きすぎることを防げるし、そうして自己嫌悪になることもない。
厭な出来事もあったけれど、良い出来事もあったのだと、まるで認知行動療法のように思考の歪みをいくらか修正することができるのだ。
Twitterにいた頃はもっと感情の起伏が大きかったように思う。
自分の中のネガティブな部分も、外から押し寄せてくるネガティブな情報も、一緒くたに合わさって、自分は心底厭な人間なのだというスキーマに囚われなくなったというのは大きなメリットだったと云っていい。
評価されるストレスからの解放
私はSNSの評価そのものを煩わしいと思っていた。
いいねもRTも通知を切っていたし、交流のためのリプのやりとりを交わすことはうれしかったけれど、評価されることで多少なりとも自分のあり方が変容したり歪曲せざるを得ないことに、おそらくそれなりに傷ついていたのだと思う。
私はTwitterでいいねをされるために本を読んでいるわけでもないし、読む本をそうした基準で選ぶこともない。
どちらかというと乱読派で、耽美なものは好きだけれど、耽美一辺倒に偏った読書をして、書影をひけらかして高尚な趣味の殴り合いをしたり、自分の趣味のすべてを耽美という鋳型に嵌め込んで満足したいわけではなかったから、Twitterをやめようとしていた終盤に至っては、書影を撮るのがだんだん億劫になっていた。
本を買うたびに「早く開封して本を撮らなきゃ……」と場所をセッティングして撮るという行為がとにかく面倒だと感じていた。
今でもこのブログに載せるために最低限の書影を載せることはあるけれど、いくらでも写真を使い回すし、本を買うたびに逐一書影を撮って載せようとは思わない。
基本的にはどんな本でも読んでいいのだし、たとえビジネス書だろうと実用書だろうと詩歌だろうと文芸書だろうと、私は私の読みたいものを読みつづけたい。
読書メーターはその点それぞれのユーザーがそれぞれの好みや興味に応じて本を読んでいて、なおかつ人間関係も希薄なので、Twitterほど評価の如何に振り回されることはない。
だから私はおそらくサービス終了になる日がいずれ来るまで読書メーターを使いつづけるだろうなと思う。
また読書に関して云えば、瞬間日記と読書メーターとの相性も良い。
読書メーターの感想をスクショしてそのまま瞬間日記に貼りつけて読書タグを挿入すれば、それだけで読書記録になる。
Twitterにいた頃は読了ツイートをしなければならないこともあって、その上書影も撮っていたため、二重三重に手間がかかっていたが、本来読書は読むことが第一であって、感想を書いておく手間はなるべくかけないに越したことはない。
スピード感を持って読書をつづけるためにも、このやり方の方が理に叶っていると感じる。書名も書影も多くの場合は読書メーターに登録されていて、わざわざ書き込む必要もない。
拡大すれば原寸大のスクショの文面が読めるので、私にはこれで十分だし、より掘り下げたいことがあればブログ記事を書いてもいい。
本との付き合い方をより合理的にできるという点で、読書メーターを活用した読書日記は優れていると思う。
ライフログとして活用する愉しみ
私はだいたい暇さえあれば音楽を流しっぱなしにしていて、雑多なジャンルの音楽を聴く。クラシックを聴くこともあれば、主人の好きなテクノを聴くこともあるし、J-POPもネオクラシカルもジャズも聴く。
apple musicのジャケット画面をスクショしておいて貼っておくと、それだけでライフログになる。
気に入った曲は単曲でスクショを載せるし、フルアルバムを通じて気に入ればアルバムのトップ画面をスクショして貼る。
それだけで日記に彩りを添えてくれるし、その時々の気分も表現してくれて、下手に写真を撮るよりも自分の記録になるかもしれない。
添える言葉は一言で済ませて、ここでも手間をできるだけ簡略化させておく。
データの扱いやすさ
また司書の勉強をしていた時期がある身としては、データをできるだけ蓄積させておきたいという気持ちもある。
Twitterではどうしても流れていってしまうが、瞬間日記はあくまでも自分ひとりのものなので、データを扱いやすい。
noteから離れたのは過去のログをさかのぼりにくいというデータの扱いの如何にデメリットがあったためで、Twitterも検索機能にいくらか難があることを考えると、データをいかに処理できるかということは、ひとつの基準になりうる。
ライフログとして活用するのなら、やはり日記アプリを活用する方が合理的だと云わざるを得ない。
おわりに
思いがけず長くなってしまったが、瞬間日記のメリットとして今感じていることは
- 自己顕示欲ではなく、自己肯定感を満たせる
- 評価されるストレスからの解放
- ライフログとして活用する愉しみ
- データの扱いやすさ
という四点が挙げられる。
合理性を追求するのなら、Twitterに居座る必要はないし、むしろTwitterはあまりにノイズが多いSNSだと云っていい。
あくまでも自分のライフログとして活用するという目的が前提としてあるのなら、日記アプリに乗り換えない手はない。