2020.01.15 鷲巣繁男旧句帖『石胎』

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図書館から借りてきた鷲巣繁男旧句帖『石胎』を読んだ。

Twitterにいると、鑑賞の文脈もどうしてもTwitter寄りになってしまったり、自分が本当に感じたことを共有しづらいという難点がある。

さらには買う本や感想の良し悪しがフォロワーによってジャッジメントされることに疲れているので、Twitterに戻ろうかと思ったものの、やはり今は少し距離を置いておきたいと思う。

 

それはともかく感想を書いておくことにする。

荒涼とした景物描写の峻厳な美と、詩人然とした詩情、強くただよってくるタナトスの香りは、鷲巣の経験した戦争体験と、その後の療養経験がベースとなっていて、耽美の一言で軽々に語れるものではない。

病気を抱えながらも師の富澤赤黄男を仰ぎ、切実な思いを胸に句作に、あるいは詩作に励んだ鷲巣の姿を思うとき、同じく病を抱え、創作の道を半ばあきらめかけてしまっている私自身の姿勢を正されるような思いがする。

強く貴い思いがこもった本との出会いをかけがえのないものと思い、献呈署名本を購入することにした。 

 

日本の古本屋で探したところ、さほど値段が高騰していなかったので、ひとまず手元に迎えられて良かったと思う。

気に入った句についても触れておきたいのだが、今は調子を崩していることもあり、あまりこの読書日記に手間をかけないと決めているので、ひとまず胸の内にとどめておく。

というよりも、そうして気に入った句を並べて美意識の高さをひけらかすような鑑賞のありは、ディスタンクシオンの説くところの「界」の闘争の場たるTwitterそのもののようでどうにも好きになれない。

 

とにもかくにも、この句集から私が受け取ったメッセージは、耽美主義、あるいは前衛俳句としての側面というよりも、病を得た人間がわずかな光明を俳句や詩に見出したということそのものであって、それが今の私にどれほどの希望を与えてくれたかは計り知れないほど大きい。

まずはその希望だけを大切に胸に抱いて、やがて届く献呈署名本を何度も噛みしめるようにして味わうこと以外に、私とこの本との付き合い方などないのだ。

 

そして私自身もできればふたたび句作に励めるように、コンディションを整えていきたいと思っている。

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新年詠は昨年末に詠んだもので、今年はまだ一句も詠めていない。

図書館からは西東三鬼句集も借りているので、そちらもじっくりと味わって、ふたたび句作の道へと戻ってゆければと考えている。

とにもかくにも気持ちのゆとりがなければなかなか俳句は詠めないので、まずは心身のコンディションを整えることに努めて、詩情を自分の心に養って、句作に励みたい。