「30代の私」ではなく、「少女の私」として物語の中に生きること

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このコミックエッセイを昨日の昼間に読んで、いろいろと考えることがあり、その一部はこちらの記事にも書いた。

evie-11.hatenablog.com

 

そして上のコミックエッセイに関して、時間を置いてみて強い違和感を覚えたのは、年齢を経ると「10代20代の若い世代に感情移入できなくなる」と妹が説くくだりだ。

私自身も少年少女の物語を読んでも感情移入できないのではないかと、物語を受け入れる余裕のないときには考えていた。

その時期は大人を主人公にした物語をずいぶんと探したものだけれど、読書意欲も湧かず、二次元コンテンツ全般を心のどこかで拒んでしまっていた。

その時期はタブッキをよく読んでいたけれど、どうしようもなく気力が失せていて、後ろ向きな気分になっていたことを覚えている。

 

ところが、上に書いたように、「ひぐらしのなく頃に」が、それを打ち破ってくれた。

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主人に「雨伽は本当にレナちゃんみたいだね」と云われて、「あ、物語の中なら、何にでもなれるんだ」と強く思った。

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詳細はこちらに書いたので繰り返さないが、少なからず重なる部分はたしかにあるのだと思う。

ひぐらしのなく頃に」を読んで、アニメを観ている間は、私はひとりの少女として物語に没入していたし、「30代の専業主婦の私」がそこに立ち入る余地はなかった。

フィギュアもタペストリーも予約して、このときめきを忘れずにいたいと思うほどに、久しぶりに物語に夢中になってしまったのだった。

 

……と書くといかにも痛々しいのだけれども、これはたしかな事実であって、村上春樹『職業としての小説家』の一節を引用しておきたい。 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

ときどき「どうして自分と同じ年代の人間を主人公にした小説を書かないんだ?」と質問されることがあります。たとえば僕は今六十代半ばですが、なぜその年代の人間の物語を書かないんだ。なぜそういう人間の生き方を語らないんだ? それが作家としての自然な営みではないか、と。

でももうひとつよくわからないのですが、どうして作家が自分と同じ年代の人間のことを書かなくてはならないのでしょう(原文傍点あり)? どうしてそれが「自然な営み」なのでしょう? 前にも申し上げましたように、作家を書いていていちばん楽しいと僕が感じることのひとつは、「なろうと思えば、誰にでもなれる」ということです。なのに僕がなぜその素晴らしい権利を、自ら放棄しなくてはならないのでしょう?

 

 私は大学生の頃までは、書き手として同年代の女性や男性を書くことが多かったけれど、「望月すみれに近寄ってはいけない」で女子高校生を描いて、執筆している間の自分は女子高生として物語の中に生きているのだという実感を得た。

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「望月すみれに近寄ってはいけない」を書いているときの私は、霊感がありそうと噂を立てられて、次第に疑心暗鬼になっていく少女そのものだったし、だからこそ私物語化計画」主宰の山川健一先生に物語の雰囲気を評価していただくことができたのだと思う。

自分が常日頃、肌身に感じている閉塞感や不穏な空気というものを反映させるには、10代の少女を描くことでしか表現できなかったのだ。

 

それは、山川健一先生に推薦作として取り上げていただいた、時代ファンタジー掌編「all the good girls go to hell」で十代の少女を描いたときにも感じていた実感だ。

この小説を書いている時の私は、江戸時代に生きる、10代の虐げられた少女だった。だからこそ希望を抱く結末を強く求めることができたし、その痛みや悲しみが物語を作る強い動機となった。

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そうした「物語の中の自分」の無限の可能性を実感として抱えながら、自己を変容させていかないと、物語を作ることはできないし、享受することも難しいのだろうと思う。

「自分の感受性くらい」という茨木のり子の詩があるが、自分の感受性はできるだけ高い純度で保っておきたいし、そのためにも少年少女たちの物語をどんどん自分の中に取り込んでいく必要があるのだ。

 

 

30代の女性ではなく、10代の少女として物語の中の世界を楽しむことに、照れくささや抵抗感を感じる必要はないのだと思う。

私は主人にも指摘されるように「もう30代になったんだから」と頭から決めつけてしまう部分があって、それは考え直した方がいいという旨のことをやんわりと諭されている。

たしかに年齢に縛られすぎて、見聞きするものや読むものの幅、広く云ってしまえば趣味全般を狭めてしまうのは本当にもったいないことだ。

物語に夢中になることに年齢などは関係ないし、物語の中でいつまでも少女でいられることは、物語が与えてくれる喜びの本質のひとつなのだと、今は強く思っている。