ホラーと和解せよ

プロに勧められたものの「ホラーを読みたくない/書きたくない病」を発症して早3ヶ月、体調を崩すほどに悩まされてきたのだが、コミック版『ひぐらしのなく頃に』の解答編の「罪滅し編」まで読んで、やはり私のような脳筋は正面突破するしかないという思いに駆られている。

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今のところ「綿流し編/目明し編」の完成度の高さに惹かれるのだが、それ以上にやはり竜宮レナというキャラクターに魅せられずにはいられない。

その深い事情はこちらに書いたので、それに譲るが、家庭環境に問題を抱え、信仰を頑なに守りつづけるレナの姿が自分自身と少なからず重なったのだった。レナが私に信仰のあり方を強く問うたと云っていい。

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主人からも「大学時代に読んでなくて良かったね。シャレにならなかったかもしれない」と云われた。

前の記事に詩音に惹かれるのではないかという旨のことを書いたが、私自身はやはりレナに惹かれる気持ちの方がずっと強い。

そういうわけでTwitterアイコンも公式サイトが配布しているレナのアイコンを選んだし、フィギュアも予約した。

 

そうしているうちに、主人も『ひぐらしのなく頃に』を読みはじめ、とうとう私を追い越すに至ったので、手持ち無沙汰になってしまい、「私物語化計画」で扱われていた鈴木光司仄暗い水の底から』を手に取った。 

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 ちょうど紹介されていた冒頭からふたつめの短編「浮遊する水」までを読んだ。

 ダークでダウナーなトーンで、じわじわと恐怖の要素が積み重なっていくさまが見事で、不穏なモチーフとして描かれるキティちゃんのぬいぐるみが、さらなる恐怖へと変化してゆく。

かつてマンションの二階に住んでいて、不幸な出来事があって去ったという一家の娘の名を、ヒロインの娘・郁子が口にするところで、恐怖はひとつの形に結実するが、そこからさらにその形が変形して、ヒロイン自身の幻視、あるいは狂気であったという結末に至るという展開になっている。

この恐怖の変形と、どんでん返しがホラーには必要なのだということがよくわかる一作だった。

 

話の型で云えば、ホラーというものの典型的な形は、起承転結というよりも序破急なのだろうと思う。破からの急転直下で急で収めるという形は、私自身これまでにも何度も書いてきたし、むしろ起承転結よりもなじみ深い。

とはいえ、恐怖の変形(詳細は「私物語化計画」の講義内容に触れることになるので多くは語らないでおく)を描くためのプロットを練る力が、今の私にはまだ欠けていると感じる。

この物語に関しても、怪異が怪異としてのみ機能していて、人間の内面性や関係性そのものに深く踏みこむ話ではないし、少々物足りなさを感じたのもまた事実だ。

 

そうした部分を深堀りしたという点においてたしかに『ひぐらしのなく頃に』は優れている。

怪異そのものを描きながらも、そこには人間の立ち入る余地が多分に残されているし、その怪異と人間の作為との狭間で主人公たちが翻弄されるさまをダイナミックに描ききっている。

ある程度の尺があるからこそ描けるのだろうし、短編小説でそれほどの構造を作り出すことはまず難しいのだろうが、だからこそ『ひぐらしのなく頃に』を読んだことは意義深かったのだろうと思う。