2020.12.09 ひぐらしのなく頃に出題編を読み終えて
『ひぐらしのなく頃に』コミック版、出題編をすべて読み終えた。
2日で8巻というペースで、主人が「雨伽がこんなに物語にハマるのは久しぶりだね」と云って、物語やホラーを遠ざけて苦しんでいた時期からようやく脱出できる糸口を見出せたのかもしれないと思う。
『祟殺し編』は沙都子の虐待が描かれて、とにかくつらかったのだが、解答編ではさらに踏みこんだシーンが描かれることになる。
早くも挫折しそうな予感がしつつも、今はもう少し突き放して読めるかなという気がしているのだが、はてさて。
ちなみに「祟殺し編」を描いたのはあの刀剣乱舞で左文字兄弟のキャラデザを手がけた鈴木次郎さんだ。この頃の作画はとうらぶのときよりも安定しているのかな……と思いつつ、三四さんのドキっとするまなざしが宗三を彷彿とさせて、二重の意味でも美味しい作品だった。
また祟殺し編では主人公の圭一が殺される側から殺す側へとシフトするという作品でもあり、これまで溜まっていたフラストレーションが一気に解放されるようなカタルシスを感じた。
そうした極めて危険な衝動がこの作品の根底をなしていることには間違いない。
過去の事件を思い出しながら、作品で暴力を扱うことの是非を改めて考えてしまう。
私はPSYCHO-PASS一期など、一頃は暴力的な映像も臆することなく観ていたものだが、30代も間近に控えてみると、だんだんその衝動と自分自身が距離を置くようになっていると感じる。
だからこそ今こうして『ひぐらしのなく頃に』を完全なるフィクションとして楽しめているのだろう。
思春期の頃から流行っていたコンテンツではあるが、当時深く入りこんでいたら、私も危ういところへ行ってしまっていたかもしれない。
少なくとも精神的にかなり不安定だった高校生の頃に読んでいなくて良かったとは思う。
これはあくまでも私個人の話なので、規制云々という話はさておき、今こうして距離を保ちながら楽しめるようになったのは、むしろ良いことなのではないか。
数あるキャラクターの中でも、竜宮レナに惹かれるのは、私の中にもまたそうした野蛮な野生が眠っているからなのだろうと思う。普段抑圧している分、そうした野生は時々こらえようもなく顔を出して、私自身を苛み、そして身内を傷つけてきた。
そういう自分の一面をまざまざと象徴するようなキャラクターだけに、竜宮レナというキャラクターには入れこんでしまう。
昔、大学生の頃にベレー帽をよくかぶって大学へ行っていて、さほど親しくもないクラスメイトの男の子に「竜宮レナみたいだね」と云われたものだったが、当時の私は、医師によれば病名不明の精神病に苛まれていたので、他の人間から見ても近寄りがたい人間だったのだろう。
自分語りがずいぶんと長くなってしまった。
今日の朝に解答編も届いたので、目明し編から順に読んでいきたい。
実は目明し編・罪滅ぼし編までは大学生の頃に読んでいて、顛末は知っているのだが、記憶が曖昧なところもあり、あらためて補完できればと思っている。
特に詩音のキャラクターに惹かれる部分も少なからずあったと記憶しているので、今から読むのが楽しみでならない。
ちなみにペンネームの雨伽詩音の「詩音」は元々はカタカナ表記で、藤原祐の『ルナティック・ムーン』のヒロインから取ったもので、高校生の頃から使っているが、漢字表記にするにあたって、別名義の「詩」の一字からももらうことにして「詩音」とした。
このペンネームにひぐらしの詩音のニュアンスがどれほど含まれることになるのか、今は分からないが、少なからず愛着を感じられるキャラクターだろうと想像している。