2020.11.17 シャーリィ・ジャクスンを読む

ホラーを読みたくない/書きたくない病をふたたび発症してしまい、どうしたものかと思ってシャーリィ・ジャクスン『なんでもない一日』の続きを読んでいた。

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まだ中盤あたりなのだが、とにかく面白い。こんなに面白い小説を読むのはいつぶりだろうという感がある。

怪異現象は一切起こらず、人間の悪意と、街の不穏な空気感だけで物語が展開していく。

ホラーにとって怪異現象というのは副次的なものだということは以前にも書いた。

aniron.hatenablog.com

怪異現象のような要素だけに依存してホラー小説が成り立っているわけではないということは、この本を通して読んで強く感じたことだ。

むしろそうした現象はプラスアルファの加点要素であって、本質的に重要であるのは、あくまでも人間関係をいかに描くかということに立脚している。

その深い掘り下げがなければ、表面的な怪異現象のおそろしさも、宙に浮いてしまうのだ。

シャーリィ・ジャクスンを読んでいると、改めてその実感を味わわずにはいられない。

また物語前提にただよう不穏な空気感は、さながら『ジョジョの奇妙な冒険』の4部のような味わいがある。

魔物は怪異の中に潜むのではなく、あくまでも一見平穏に見える街のとある住民の心の中にいる。それがまたアツい。

今のところ読んだ中では、冒頭の「スミス夫人の蜜月」と「なんでもない日にピーナッツを持って」「悪の可能性」が好きだ。

中でも「スミス夫人の蜜月」は、ハウスワイフがヒロインということもあって、「私もこういう物語を書きたい」と思わせる一作だった。

 

実のところ、プロ作家に「可能性を感じる」と評価していただいた「望月すみれに近寄ってはいけない」は、女子高校生をヒロインにしたこともあって、妙に照れくさいと感じる部分もあった。

kakuyomu.jp

私が苦手とする現代が舞台の小説でもあったし、女子高校生という身分はこれまでに通ってきた道とはいえ、その現実は決して明るいものではなかったから、その有様を描くことに気恥ずかしさがあったのだった。

この小説ではその暗い青春が良い方向に作用したのかもしれない。

ホラーを書くのには事欠かない材料を持ち合わせているという点でも、女子高校生をヒロインにするというのは理に叶っているだろうし、ターゲットとする読者層の年齢を考えてもそれが妥当だというのもわかる。

 

だが反省点はいろいろとある。

シャーリィ・ジャクスンの小説は、子どもを扱った作品でも終始クールで、少しも媚びたところがないのが好ましい。日本文学だとなかなかこういう作風で、徹底的に突き放した姿勢で子どもを描くことは難しいのではないかと思う。

このさじ加減がなかなか難しくて、あくまでも読者のターゲットを大人に設定しているからこそ書けるのだろうが、私は少し幼い書き方で書いてしまう。

あくまでも物語の不穏な空気感を重んじるという徹底した意識がなせる技なのだろうと思う。

 

また詳細は「私物語化計画」の内容に触れることになるので、そちらを参照していただくことにして、シャーリィ・ジャクスンの小説は因果関係を描くフランケンシュタイン型というよりは、人間の心に巣食う悪を描くという点において、ジキルとハイド型、あるいは悪の権化としてのドラキュラ型に分類される小説が多い。

サイコパスのような人間を扱うことは、私の手に余るかもしれないので、実際問題創作にどれほど活かせるかというと疑問が残る。

小説の型として魅力が尽きない上に、物語を展開させていく原動力を持つのはやはりフランケンシュタイン型だろう。

そう考えると、やはりキャラクターについて、どれだけの動機を描けるかということが重要になってくる。

動機がないところに恐怖があるという見方も一方ではできるのだが、それだけではやはり小説としてのコアは弱くなってしまう。

強烈な動機は、確実に物語を強く推し進めていくのだ。

 

……とここまで書いてきて、改めて自分の練っている構想をふたたび見直そうという思いに至った。

まだまだ時間はかかるだろうが、少しずつでも前進できるように励みたい。