騙し騙し生きてゆくこと
29歳も終わりに近づいてきて、うつを患って2年ほど経つけれど、本当にこの持病とは騙し騙し付き合っていくしかないなぁという実感を得ています。声を上げて泣きたい夜もあるけれど、うまく泣けないから自分でなだめすかすしかなかったりして。もうちょっとまとまったらブログに書きたいと思います。
— 雨伽詩音 (@poesy_rain) 2020年10月16日
ということを昨日ツイートして、ここのところは本当に騙し騙しうつと付き合っているなぁと感じます。
心身ともに体調が悪化したり、人間関係に思い悩んだりしながら、それでも小説を書いたり日々少しずつ家事をこなしていると、自責感で参りそうになる日もあります。
多少の不調を押してでも家事をもっとすべきだとか、まだまだ未熟な身で何を偉そうなことを云っているんだとか。とにかく自分を責めさいなんでしまうのです。
それでもふと立ち止まった時に、私は私でそれなりに頑張っているのではないかなと気づきました。
ここのところ二本原稿を抱えていたのですが、ふたつとも完成の目処が一応ついて、一本はR-18文学賞に投稿して、もう一本は初稿の完成まで持っていくことができました。
まだまだこれから磨いてゆかねばなりませんが、ひとまずここまで来られたことに感謝したいなと思います。
うつだから積極的に休むべきだという考え方もあると思いますし、私も騙し騙しやっているので、けっこう参ってしまう日もあります。
それでもなんとか前を向いて書いていると、レジリエンスが高まってくるのを感じますし、生きる希望も湧いてきます。
ここのところ急性胃腸炎で臥せりがちになっていたのですが、何もせずにただ無為に休んでいると、ますます自責感が強くなってしまって、私にはあまりいい結果をもたらしませんでした。
わずかばかりながらでもブログや小説などの文章を書くことで、自分の思いを形にすることは、私にとって大切なことなのだと感じます。
そうしてちょっと無理をしてでも前を向いているから、気持ちもいくらか前向きになれるようです。
少なくとも積み重ねてきたものは自分を裏切ることはないと信じていますし、たとえ結果が出なくても、結果を出すために必死で努力してきたことに代わりはありません。
作者としての自分の役目はしっかり果たして、それから読者に作品を預けるという形が最良の形なのではないでしょうか。
充分にやりきったという思いがあるのなら、まずはそれでいいのだと思います。
うつになって、どうしようもなく絶望に駆られる夜もありますが、それでも騙し騙し生きていくということを心の片隅に置いておいて、なんとかしのいでいきたいです。
回復の見込みは今のところ立っていません。
月のものの周期とともにうつが巡ってくるので、少なくともそれが終わるまではずっと付き合っていかねばならないのではないかなと覚悟しています。
それでもなんとか生きていくしかありませんし、生きていれば、時につらい思いをしても、こうしてなんとか作品を書いて、喜びを感じられることもあるはずだと思います。
29歳という年齢ですでにいろんな不調を抱えているので、これからはさらに心身ともに支障をきたすことも考えられます。
とにかく短気にならないでくださいと主治医には時々云われていますが、これからは不調をやり過ごしながら、半ばあきらめの気持ちで病気と付き合いながら生きていくしかないのだろうと思います。
以前観たNHKの「あしたも晴れ! 人生レシピ」という番組で、鈴木秀子さんというカトリックのシスターが「聖なるあきらめ」というお言葉を口にしていました。
様々な苦難や困難に向き合われてきたシスターのお言葉の数々に、心が清められた思いがしました。
この著書もぜひ手に取って読んでみたいと思います。