2020.10.10 いつも心にシェラを
ホラーを読むのに少し疲れてしまって、間に何かライトなものを挟みたいなと思って、デルフィニア戦記『コーラル城の日々』の短編「シェラの日常」を再読した。
シェラの立ち振る舞いの一つひとつの美しさに改めて感じ入る一編だった。
デルフィニア戦記と出会ったのは、私が小学6年生の頃だったから、かれこれ18年ほどの付き合いになる。
当時はナシアスが好きだったのだけれど、専業主婦になってみて、また保守的な考え方が自分にしっくりくると感じるようになってからは、もっぱらシェラに共感するようになった。
シェラの侍女(あるいは従者)然とした態度や、ごくごく控えめで決して前に出過ぎない性格に、同棲をはじめて結婚してからというものの、何度救われたか分からない。
色々な困難に直面するときもあるけれど、「シェラならこういう時でも、自分の領分をわきまえて頑張るだろうな」と思うと、少し気持ちを奮い立たせることができる。
そういう長年親しんできたキャラクターというのは、もはや推しとかいう次元を超えて、私の中に生きているのだと感じる。
このように書くと、夫はよほど亭主関白なのかと思われてしまうかもしれないが、決してそんなことはない自由人でリベラリストでもあり、むしろ私の頭がやたらめったら硬いのだと思う。
自分を専業主婦という役割や、主ではなく従としての立場に押し込む方が気持ちが楽でいられるから、自分が好んでそうしているのに過ぎないし、その方がいくらかでも家庭がうまく機能するのなら、私はそれでいいと思っている。
私自身も創作をすることで自由を享受させてもらっている部分も大いにあるので、決して息苦しさを感じているわけではない。主人には心から感謝している。
とはいえ、自由だけでは家庭は回っていかない。
同時に主婦としての義務もきちんと果たさなければ、夫婦関係を良い形で維持していくことはできないのだ。
そうした義務感に苛まれてしまう日もあるけれど、私は専業主婦としての生き方が好きだし、私自身が感じる女性としての理想美も、そこには伴っているのだと思っている。
女性としてのあり方の美しさは時代とともに変遷していっていて、今はその過程にあるのだろう。その急激な変化についていけない私は、本来の性別は異なれど、あくまでもシェラのようなあり方にどうしようもなく惹かれてしまう。
今日は家事三昧の一日になったが、それもシェラを見習ったから頑張れたという面も大きい。心にお手本となる人やキャラクターがいるというだけで、少しでも前向きな気持ちになれるのだから、本当にありがたいことだと思う。
夕食の支度もままならない日々が続くなかで、品数は少ないながらも主人に喜んでもらえる料理を振る舞えたことはひとつの自信になった。
自信がなくなってしまいそうな日も、やる気に満ちた今日のような日にも、シェラが心の奥底にいてくれることを忘れないようにしたい。