2020.10.05 眠りのための文学
フィジカル周期とうつが重なり、薬も効かないのでひたすら眠りこけていた。
以前フォロワーさんにも勧めていただいたし、改めて読むのもいいかもしれない。
秋からやがて冬になるという今の季節にもふさわしい。
結局合計で4時間半ほど眠っていた。
もともと休むのが苦手で、なかなか体を横たえることができないタイプなのだけれど、起きていても頭が苦しいばかりで、昔のネットの知り合いが「死にたいときには眠るといい」と云っていたのを思い出した。
彼はその後どうしているのか分からないけれど、あの時あの言葉をもらったから、今でもなんとか生きられている気がする。
言葉というものの力を改めて感じる。
眠るという行為は詩情を伴う。
不眠という言葉を使った詩に心なぐさめられる晩もあれば、ひとり寝のわびしさを歌う古歌に慰撫されることもある。
私の寝室は主人とは別室なので、基本的にはひとり寝だ。どうしようもなく寂しさに駆られる晩も決して少なくはない。そういう時に詩歌があって良かったと心から思う。
私は寝つけないというよりも、寝る準備をするのがものすごく下手で、眠りに就くことができないということがままあるので、そういう自分をなだめるための本というのがどうしても必要なようだ。
うつになって、言葉がなければ乗り越えられない夜があると感じることが増えた。
そういう時に傍にいてくれる本の存在をありがたく思っている。
昨晩は片柳神父の『こころの深呼吸』を読んで眠った。
家族との争いが心を深く傷つけるのは、
家族こそ一番大切な存在だから。
「お前なんかいなくなれ」
と否定するのではなく、
「あなたはわたしにとって
かけがえのない人だ」
と素直な気持ちを伝えましょう。
家族だから心配が行き過ぎたり、言葉が溢れてしまいそうになったりすることもある。
でも、それは何よりも主人という存在が大切だからなのだと、ようやくひと息ついて眠りに就くことができた。
先日はカトリックのシスターのドキュメンタリーを観て、やはりカトリックは私の根幹のひとつなのだと実感している。
信徒ではないけれど、高校大学とミッションスクールに通って、カトリックの精神が自分自身の支えになっていることに変わりはない。
ゆくゆくは渡辺和子シスターの本も買って読もうと思っている。
むろん、寝る前のひとときに聖書を読んでもいいかもしれない。
私が特に好きなのは、旧約聖書の詩篇で、これを読むだけで心が安らぐというのはありがたい。
聖書は講義を受けてもやはり難解なので、ストレートに言葉が伝わってくる詩篇が好きだ。
主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し
命を墓から贖い出してくださる。
慈しみと憐みの冠を授け
長らえる限り良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにしてくださる。
——詩篇103.3-5
朝早く起き、夜おそく休み
焦慮してパンを食べる人よ
それは、むなしいことではないか
主は愛するものに眠りをお与えになるのだから。
——詩篇127.2
言葉を糧として、なんとか永らえることができればと願っている。
気が急いてしまうこともあるし、こんな自分ではどうしようもなくダメだと思ってしまう晩もあるけれど、そういう時に言葉をよりどころにできる自分でありたい。