乱読は生きる糧になる

精神的にも身体的にも参る日々がつづいています。

そんな中でも不思議と本を読めていて、これまでの私だったら不調なときは本を読めないということがままあったのですが、それもこれも乱読の成果だと感じています。

特に気がめいっているときにはなかなかヘビーな小説は読めないので、雑誌を読んだり、軽い本を読んだりしています。

その軽い本を読んでいる自分というものが私はどうしても許しがたくて、「小説を書きたい人間が実用書なんて読んでばかりいてはダメだ」と思う気持ちが強かったのですが、以前夫に「詩音さんは自分を否定するところから入ってるよ」と云われたことがあってはっとしました。

 

それから月日が経って、改めて自分の読んだ本を振り返って、実用書の多さに「これじゃダメだ……」とふたたび落ちこんでしまいましたが、とあるきっかけがあって改めて自分の足元を確認したときに、「乱読していたから自分は今こうして生きているのではないか」と思い至りました。

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どんな時でも本を読めるというのは、私のなによりの強みになるのではないかなと気づいたのです。

実用書を読むのも、ネットからの情報に頼りすぎずに、自分の力でできるだけ一次情報に近いものを得るという史学科生の頃に叩き込まれた精神が生きています。

中にはkindle unlimitedを利用して読んだ本で、SNSが発端となった本当にどうしようもないものもありましたが、それもまた勉強です。

kindle unlimitedはお試し期間終了とともに退会しました。

そうしてより質の高い情報を求めて本を読むことは、アウトプットの質、ひいては人生の質そのものにも関わってくるのだと思います。

 

なにより、様々な本を読んでいるということは、創作に行き詰まったときに別の道を明るく照らしてくれます。

学生だった頃にとある教授が「自分の原点となる場所を持っている人は強い」ということを語っていましたが、私はそうは思いません。

原点となっている本も実家から取り寄せて読み返したものの、今と昔読んだのとでは全く印象は異なっていますし、原点というものはひとつの幻想に過ぎないのです。

しかし、あらゆる本を読む乱読は、「依存先を増やす」というメンタルヘルスの鉄則を考えれば理にかなっています。

あるひとつのジャンルだけだと、どうしても視野が狭くなってしまったり、他の打開策を見出せなくなってしまいますが、とにかくいろんなジャンルに手を出していると、これでもかというぐらい創作の抽斗が増えます。さらに創作そのものがうまくいかなくても、「まあいいか、今は軽めの本を読もう」と頭を切り替えられます。

複数の選択肢を持っておくことが生き延びるための秘訣だと考えるならば、乱読に勝るものはないのです。