【創作メモ】詩的散文とプロット主義

前回までの経緯の記事はこちら。

evie-11.hatenablog.com

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本文で触れている新作「my strange addiction」の進捗ノートはこちら。

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現在3177字。物語の展開上の「序破急」でいうところの「序」を書いています。この段階が長引くとどうしても行き詰まってしまうのですが、私はどうしても「序」を引っ張って書いてしまいがちです。

小説というのは絶えず展開が変化していくものですが、その変化がめまぐるしいとどうしても疲れてしまうのです。

小説として成り立たせるためには、どうしても手順を踏んで、定石を踏まえて物語を展開させていかねばなりません。

しかし私の小説はともすれば詩的散文に陥ってしまいます。

これは10年散文詩を書いてきたからというのも大きいのでしょう。ちょうど「翠の鳥」を書いたときに友人に「詩人の書いた文章」と評してもらったことがあって、そこから脱し切れていないのかなと思います。

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詩的散文に陥ってしまうと、どうしてもプロットとの両立が危うくなってしまいます。小説として成り立たせることが必然的に難しくなります。そうして失敗した作品もありましたし、このままでいいのかという思いもあって、プロット主義に拠るべきかとここ数日悩んでいます。

とはいえこれは私自身の持ち味でもありますし、今さらそこを根本的に改善できてプロット主義にステ全振りできたとしても、オリジナリティが失われてしまうのではないかとも考えます。

上の友人に「雨伽さんは山尾悠子的小説を目指すのか、上橋菜穂子的小説を目指すのか」と問われたことがありますが、実際に私の立ち位置というのはどっちつかずで、プロット主義にも、詩的散文主義にもなりきれないということを自覚しています。

実際、「山妖記」を書いたときにも「この物語はどこへ向かうのか、序盤ではわかりませんでした」という感想を読者の方からいただきました。

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プロットは事前にある程度立ててから書くようにしているのですが、序盤は即興的に書いていくことが多いので、私自身にもどの段階で次の「破」につながっていくのかわからずにいます。

その「破」への扉を模索しながら書くこともなかなか楽しいのですが、苦痛を伴うこともあり、「本を読むことは道に迷うこと」と記した朝吹真理子の言葉を借りるなら、「物語を書くことは道に迷うこと」と云っても差し支えないかもしれません。

その迷う過程を楽しめたらいいなと思っています。

まだまだプロットを消化できていないので、全体として8000〜1万字程度になるかなというところです。

少なくともそれぐらいの尺がないとこの物語は収まらないだろうなと感じます。

2000〜4000字程度を想定していたので、思ったよりも長丁場の付き合いになりそうですが、もう少しこのヒロインの物語をじっくり作っていこうと思います。