Twitterを退会しました

SNS断食のお話はこれまでにも書いてきましたが、とうとうTwitterを退会しました。

理由はいくつかあるので順にお話しします。

 

 

退会した理由 

相互監視社会に疲れた

一番大きな理由はここにあります。

他人のツイートにさほど関心があるわけではないのだなと、断食期間中に感じました。

はじめの頃はPCのブラウザでブクマしておいたTwitterのプロフページをチェックすることも多かったのですが、今ではほとんど見ていません。

インプットの質量を上げるためには、どうしてもSNSから離れる必要があることは以前にも記事に書きました。

evie-11.hatenablog.com

これからものを書き続けるためにも、インプットの質量を上げることには注力せねばなりませんし、Twitterで他人のどうでもいい情報を観ることに脳のメモリを費やすのはあまりに惜しいと判断しました。

またアウトプットの場も、私の場合はブログの方が体系立てた思考を紡ぎ出せるので、向いているなと感じます。文章を書くための鍛錬にもなりますし。

 

政治ツイート/社会問題を提起するツイートに神経をすり減らした

2009年からTwitterを使っていて、近年の左右問わない政治ツイートの過激さにはずいぶんと消耗するようになってしまいました。トレンドをサウジアラビア語にしたり、政治ツイートをするフォロワーをミュートしても、それでも追いつかないのです。

ストレスフルな環境に長く身を置いていてもあまり良いことはありませんし、夕食の場で夫に社会問題を提起するツイートを紹介して空気が悪くなることもありました。

「そういう話は俺にしないでほしい」と云われましたし、夫には申し訳なかったなと感じています。

Twitterを離れてからは、「どこにそんな問題があったんだろう」というほど、そうした過激なテーマとは無縁でいられるので、私には近年のTwitterは肌に合わなくなってしまったのだろうなと感じます。「ドロリッチなう」みたいにちょっととぼけたことを書いている場が、私にはちょうど良かったのです。

TLには常時左派のツイートが流れてきていましたし、Twitterデモに便乗するフォロワーも数多くいました。私はそれらに加担はしなかったものの、時には政治的なツイートをしてしまうこともありました。

左派の恩師の指導を受けた大学を出て数年が経ち、左右といった自分の立ち位置がよくわからなくて戸惑っていた時期なので、過激な論調でヘイトをまくしたてるということはしていませんが、自分なりの道筋を模索する過程は人に見せるほどのものではなかったと思います。

しかし、左右どちらかの立場を表明しなければその場にいられないという無言の圧力を感じていたのもたしかです。その両極端な選択を常に強いられているような感覚があり、とても息苦しかったです。

そういう自分自身にも、そしてそれを無言のうちに強いるTwitterという場にも厭気が差していました。

 

人殺しのSNSに参加していたくない

これも大きな理由のひとつです。木村花さんをはじめ、NHKニュースでもTwitterの誹謗中傷によって新たな自殺者が出たというニュースが取り上げられていました。

私は当時のことを詳しく存じませんが、村上春樹学生運動について次のように記しています。

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2015/09/10
  • メディア: ハードカバー
 

僕はもともとグループに入って、みんなと一緒に何かをするのが不得意で、そのせいでセクトには加わりませんでしたが、基本的には学生運動を支持していたし、個人的な範囲でできる限りの行動はとりました。でも反体制セクト間の対立が深まり、いわゆる「内ゲバ」で人の命があっさりと奪われるようになってからは(…)、多くの学生と同じように、その運動のあり方に幻滅を感じるようになりました。そこには何か間違ったもの、正しくないものが含まれている。健全な想像力が失われてしまっている。そういう気がしました。そして結局のところ、その激しい嵐が吹き去ったあと、僕らの心に残されたのは、後味の悪い失望感だけでした。どれだけそこに正しいスローガンがあり、美しいメッセージがあっても、その正しさや美しさを支えるだけの魂の力が、モラルの力がなければ、すべては空虚な言葉の羅列に過ぎない。僕がそのときに身をもって学んだのは、そして今でも確信し続けているのは、そういうことです。言葉には確かな力がある。しかしその力は正しいものでなくてはならない。少なくとも公正なものでなくてはならない。言葉が一人歩きしてしまってはならない。

――村上春樹『職業としての小説家』、スイッチ・パブリッシング、2015年、p37

学生運動Twitterでは状況は異なりますが、特に「言葉には確かな力がある……」以降の文章はTwitterでもまったく同じことが云えるのではないでしょうか。

たとえ自分自身が誹謗中傷をしていなかったとしても、それでもTwitterをやっているということが、間接的に人殺しに加担するということになりはしまいか、と私は考えてしまいます。

そういう暴力的な装置を使いつづけることが、果たして正しいと云えるのだろうか、と。

もちろんTwitterを使っているすべての人が悪いのだと云うわけではありませんが、少なくとも私はそうした暴力に加担したくはないと感じます。

誹謗中傷は自分には全く関係のないことだと果たして云いきれるでしょうか。

たとえ自分とは隔たったところで起こっていることだとしても、同じ場所を居所にしている以上は、そうした行いと完全に無関係ではいられないと私は考えます。

 

退会したことのデメリットについて

強いて挙げるならば、創作活動には大きなデメリットを感じています。

ブログだけだとどうしても交流や宣伝に影響が出てしまいますし、そういう創作活動の場としてのTwitterはやはり魅力的ではありました。

親しいフォロワーさんのアンソロジーに寄稿させていただいたり、自分自身も小説や詩、俳句や短歌などを意欲的に発表して、評価をいただいたりと、創作のモチベーションに大きく寄与していたのはたしかです。

趣味で創作活動を続けるにも、Twitterがあるのとないのとでは大きくことなってきます。

しかしそれ以上に上に挙げた理由はあまりにも深刻なダメージを私に与えてきました。

少なくともしばらくはブログで創作の宣伝や交流などを続けていければと考えています。

いずれはnoteなどの活用も視野に入れたいと思っています。