広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

創作活動において多動性を利用して報酬系を制御する

 

これまで発達障害当事者として、様々な記事を別垢のブログに投稿してきました。

snowrabbit21.hatenablog.jp

今回のお話は主に発達障害者の創作活動に関することになります。

もともとこの別垢のブログに載せようと思っていたのですが、思った以上に話が自分のことや創作に関することに偏ってしまったので、こちらに載せることにしました。

 

発達障害者は報酬系の機能が健常者と比べて弱く、長期的な目標を達成することや、得られた結果(報酬)を成果として受け止めることが難しいとされています。

 

小児科学講座 教授 山形 崇倫「こころの健康 ADHD注意欠陥多動性障害) 」

https://www.jichi.ac.jp/extension/file/summary_h25_10.pdf

 

このような論文を読むまでもなく、実際にこれまでの自分の活動を振り返ってみても、人から評価されることに何ら価値を見出せなかったり、作家になるために長編を書くという目標を立ててもなかなか実行できず、短編ばかり書いてしまうということが多かったです。

報酬系の弱さを自覚しながらも、私がこれまでさほど問題として認識してこなかったことには、とにかく多動性をフル活用すること、つまりあらゆる創作をやってみることで、自分の弱点を生かす方向にシフトしてきたという背景があります。

 

  これは今なにかと世間を賑わせている堀江貴文氏の『多動力』が私を勇気づけてくれたというのが大きいです。ただし彼の政治的動向には一切同意しませんが。  

多動力 (幻冬舎文庫)

多動力 (幻冬舎文庫)

 

私が行っている創作活動を具体的に挙げてみると、

などがあります。

ホリエモンは著書の中で、1万時間理論を持ち出して、「1万時間そのことをやれば80点のところまでは到達できる。その80点取れるものを増やせば唯一無二の人材になれる」という趣旨のことを書いています。

 

私は小説は幼稚園児の頃から書いていて、詩は18歳、短歌と俳句は25歳からはじめました。

80点とまではいかないかもしれませんが、それ相応にネットで評価をいただくことも増えてきました。小説では商業雑誌に掲載することになったり、昨年のカクヨムコンテスト短編部門では最終候補まで残ることができました。短歌では佳作をいただくことができました。

でも、それらの報酬を得てもまったく満足できないのです。

今が不十分な状態だから満足できないというわけではなく、たとえ今以上の評価を得ても、万が一プロになれたとしても、この心境は何も変わらないと思います。

 

私がこれまであらゆるジャンルの文芸に手を出してきたのは、評価云々はさておき、とにかく退屈しやすい性格だったからです。

創作をしている間は退屈をごまかせても、完成してしまえばあとは野となれ山となれ、という気持ちになってしまいます。

作品というものは、書いている間は著者のものですが、発表してしまえば読者の手にゆだねることになるので、これぐらいあっさりとしたおつきあいの方が精神衛生上なにかと都合がいいのもたしかです。

もちろん作品を書いた以上、責任の所在が自分にあることはわきまえています。

ただ、必要以上に自分の書いたものに固執したり、読者に作品の一方的な解釈を強いたり、作品の投稿とともに感想を求めたり、登場人物を「うちの子」扱いしたりはしないということです。

 

このように、私がモチベーションを発揮できるのは、作品と向き合っている最中だけなので、とにかく自分と作品の方向性を決めたら、あとは量産体勢に入ります。

量産というといささか言葉は悪いですし、作品と向き合っている間は真剣なので、いい加減な気持ちで作品を書いているわけではないのですが、結果的に作品と向き合う頻度を増やすことが作品の数の多さにつながります。

数をこなせばそれなりに技術も磨かれていきますし、それはホリエモンの云うところの1万時間理論とマッチするのだろうと思います。

もちろん考えなしに数をこなせばいいというものではありません。

その過程で考えながら、数多くの作品を生み出していくことは、間違いなく創作をする人間の力になります

 

そういうわけで今も多動性を活用して様々な活動をしています。

泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロのように、私は何かしら書いたり創作していないと(精神的に)死んでしまうタイプの人間なので、できるだけ自分の中に創作のレパートリーや幅を持っておくといいのかなと思っています。

だいたい小説に行き詰まると散文詩を書いたり、体調が悪い時にはこうしてブログ記事の執筆をしたり、俳句や短歌を詠んだりしています。

それで年中無休で創作活動をしているという状態が保たれて、私は評価の如何に関わらず、作品を発表しつづけることができているというわけです。