短歌と俳句を投稿するべく、角川俳句と短歌、短歌研究を買った。
このうち角川俳句は以前から時々購読していた。
俳句の世界のあまりの狭さに愕然としてしまって、しばらく読まないでいたのだけれど、自分の俳句があまりにもワンパターンなので、もっと積極的にいろんな俳句に触れたいと思ったのだ。
また投稿も再開したいので、様々なバリエーションを持つ角川俳句ならば間口も広かろうということで手に取った。
あいにくと以前投稿したときには入選ならずだったが、もう少し粘ってみたい。
短歌の方は実は何冊も積んでいて、なかなか読めずにいるのだけれど、ここのところ短歌を詠むのが面白くて、先日短歌研究に投稿したこともあって手に取った。
こちらもどの程度見込みがあるのかはわからない。
とある賞で佳作をとったときとはまったく違う、耽美主義な作風で投稿したので、なかなか厳しいかもしれない。
それでも塚本邦雄賞を持つ短歌研究に投稿してみたいという気持ちがあって、今回手元に迎えることにした。
果たして読んでみると写実的な短歌が並んでいて、ちょっと面食らってしまったのだけれど、これも時勢なのだと思えば致し方ないのかもしれない。
まだすべて読み終えたわけではないけれど、もう少し間口の広さが欲しいと思ってしまった。
私は根が楽観主義で享楽派なので、写実主義とはほど遠いところにいることを改めて思い知った。それもまたいい勉強になったのかもしれない。
ここのところは本を読む気力がなくて、あっちを読んだり、こっちを読んだりと節操がない。
そういう自分のことを好きになれずにいたのだけれど、それでも文芸雑誌というものは飽きさせない紙面作りになっているのか、先日は現代詩手帖5月号を読み終えた。
誌面に並んだ読者の投稿作品を見て、現代詩は私には到底投稿できないなと痛感したけども、それでも現代詩は読み手として単純に興味があるし、その面白さも少しずつわかってきた。
様々な特集やエッセイ、評論を読めるのも面白く、今後とも折に触れて購読してみたいと思っている。中でも清岡卓行のご子息のエッセイがあまりにも卓越していたので、読めてよかったと思う。
最近は朝吹真理子の父、朝吹亮二の詩に興味があって、今はなき荻窪の「ささま書店」で買った詩集を積んでいる。
またTwitterのご本人のツイートを見かけて気になっているのが、岩倉文也の詩集だ。
でもさ、それもまたゆめなんだから。のしかかる希望も、はつなつの空も。誰かによばれるための名前だって、ぼくらにはもういらないんだ。ほら、朝がきたよ。きみは進むために空を仰ぐけれど、ぼくは欠けるためにことばを紡いでゆく。今日という日に、ぼくの人生に、ささいな意味もないと確かめるために
— 岩倉文也 (@fumiya_iwakura) 2020年5月28日
こちらも余裕があればぜひ手元に迎えたい。