広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【ヴァニタスの系譜】ディスコミュニケーションの滑稽さと美について

ここ数日体調が優れないので「ヴァニタスの系譜」の執筆を再開しました。

 うまく泣けないので、泣きたいという気持ちをうまく発散させる方法が私には小説しかなくて、この小説から否応にも逃れられないなぁという気持ちで向き合っています。

 

「発語することの困難さ」というのは私の最近のテーマなんですが、それを一番表現できるのがこの小説だなと痛感しています。

 

evie-11.hatenablog.com

 

このテーマは、最近書いた掌編「all the good girls go to hell」にもこめました。

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主題ではなく、あくまでも要素のひとつとして入れているだけなので、どこまで読み取っていただけるかはわかりませんが、読者の方にゆだねる以上は、ご自由に読んでいただければと思います。

 

形を変え、品を変えて表現できるテーマだと思うので、今後とも何かしらの場面で書くことになるのだろうなと考えています。

コミュニケーションというものは小説の根幹をなす要素のひとつなので、そこに何らかの障害が生まれるということは、世の中のどんな小説にも共通する要素だと思います。

たとえば泉鏡花の「海神別荘」がいい例で、あれは人間と人外のディスコミュニケーションを描いているわけですが、会話がすれ違ったり、意思の疎通がうまく取れない様子って、程度の差こそあれ誰にでもあると思うんですよね。

海神別荘・他二篇 (岩波文庫)

海神別荘・他二篇 (岩波文庫)

  • 作者:泉 鏡花
  • 発売日: 1994/04/18
  • メディア: 文庫
 

 それがやや極端な形で表象されたのがこの「海神別荘」という戯曲で、極端な形で表れると物語として面白いよなぁと感じます。

実際に生活して困難を抱えている身からしてみれば、とても面白がってはいられないのですが、客観視してデフォルメしてみると、けっこう滑稽だったり、逆に鏡花のように美の領域にまで高めることができるのではないかなと。

 

「ヴァニタスの系譜」は滑稽さというよりは美に向かう志向性の方が強い作品だと私は思っているのですが、以前とある場所で私の俳句を読んでいただいたときに

「兄は次はどんなひどい目に遭うんだろう、妹は次はどんな場所で臥せるんだろう、次はどんな貝を剥くんだろうというおかしみを感じる」

と評してくださった方がいて、そういう見方もあるのかと目から鱗でした。

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これは状況のシュールさが面白さとして感じられた例だとは思いますが、ある意味で詠み手と受け手のディスコミュニケーションがもたらしたおかしみなのだろうなと感じます。意図せぬところで笑いを取ってしまったというか。

本人は至って真剣に詠んでいるのですが、たしかに「あらゆる種類の貝を剥きまくる」「わけもなくひどい目に遭い続ける兄」「理由もわからず年中あらゆるシチュエーションで臥せる妹」の図というのは面白いと感じるのかもしれませんね。

 

美と滑稽さは隣接することもあるのかなというのは、スズキエイミさんという方のコラージュ作品を拝見していても感じることです。

 

 

唯美的というよりはややグロテスクで、かわいらしくて、ちょっとおかしみがあるんですよね。それはコラージュという作風の特性ゆえのものだろうなと感じています。

元の絵とコラージュ素材の間にあるギャップから生まれてくるものなのだろうなと。

 

この関係を上のコミュニケーションの問題に当てはめることもできるかもしれません。

最近それまでほとんど観ていなかったお笑いをyoutubeで観ることもあるのですが、芸人さんのコミュニケーションも、基本的にはコミュニケーションの間にあるギャップが面白いのだろうなと思います。

私はすゑひろがりずが好きで、youtubeで観たりするのですが、古語を用いることで「言葉が通じるようで通じない」というところをうまく突いているなぁと感じます。

ある面でシリアスな葛藤をもたらし、また別の場面では滑稽さをもたらし、極端な方向に昇華すれば美の境地にも達する。それが「言葉の通じなさ」の面白さだと感じます。

 

ちなみにスズキエイミさんのコラージュ作品のオマージュの短歌を短歌ハッシュに寄稿したので、そちらもぜひ出力してご覧ください。

これまで同様、余裕があれば、連作としてまた短歌を詠んで、こちらにUPしたいと考えています。

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