ひとり創作会議

先日友人とZoom飲みをして、いろんなことを考えました。

話題は主に創作のこと。

 

今回は自分の志向性や作品の傾向に関する批評をいただきました。

友人から指摘されたのは

1.山尾悠子的方向性

2.上橋菜穂子的方向性

です。

これに加えて、個人的に考えた

3.歴史小説

4.エンタメ異世界ファンタジー×BL小説

について考えてみます。

 

1.山尾悠子的方向性

こちらはこれまでにも周囲の複数の人々に勧められました。

増補 夢の遠近法: 初期作品選 (ちくま文庫)

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  • 作者:山尾 悠子
  • 発売日: 2014/11/10
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別の共通の友人からは「第二の山尾悠子になってください」と云われましたし、夫からは「あなたは特装本を出すような人でしょう」とも云われました。

私は自分ではそれなりに起伏の激しい小説を書いているつもりなのですが、友人の目から見るとどうやらそうではないみたいです。自分の作品を客観視できていないのかもしれません。

幻想的な要素は私の小説には欠かせない部分ではあるので、そこに徹頭徹尾徹するならば、そうした世界観の構築は比較的近道なのかもしれません。

 

どうにも抗えない序破急」という私の物語構造の特性を考えれば、序の部分をかなり引っ張って、時間の経過を千年単位でいじるなど、破と急の部分をかなり極端な方向に持っていけば、ある程度意味の世界から離れることもできるかもしれません。

またこの方向性だと自分の強みの文体を十全に活かせます。

その点では魅力的で、今の自分の持っている力の範囲である程度のところまでは進めるかもしれません。プロになれるかどうかは分かりませんが。

 

プロになるにしても、この志向性だと、どのジャンルの新人賞に投稿すればいいのかよくわからないのが難点です。

山尾悠子は「今自分がアマチュアだったら、現代詩からプロの道に入っただろう」と現代詩手帖に書いていましたが、いずれにせよ狭き門であることに変わりはないでしょう。

現代詩手帖 2019年 07 月号 [雑誌]

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  • 発売日: 2019/06/28
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 とはいえ私にとって一番の近道は結局のところ山尾悠子的方向性にあるのだと、改めて思います。

今のところ温めているネタもあるので、これをベストな形で活かせるのは、この山尾悠子的方向性だろうなと感じています。

山尾悠子のルーツは泉鏡花谷崎潤一郎だそうなので、そうしたルーツが近いところもこの方向性が妥当と考える理由のひとつです。

 

具体的に書きたい作品のことを示すと、拙作「翠の鳥」のスピンオフ作品を書くつもりです。

kakuyomu.jp

本編ではちょっとしか登場しないのですが、この作品に登場する「帝」について書きたいという想いは以前からあったので、それを形にしたいと思っています。

詳しくはネタバレになるので語りませんが、自分が抱えている本質的なテーマをこの帝に重ねたいと思っています。

 

山尾悠子的方向性を志向する以上は、山尾悠子は全作品読むのみならず、近現代、あるいは古典にまで及ぶ幻想文学や詩歌全般など、広く読む必要が出てきます。

また「翠の鳥」の舞台は和漢折衷とはいえほぼ平安時代なので、源氏物語を中心とした平安文学や、平安時代関係の資料も必須になります。

これに関しては元々興味関心のある分野ですし、これまでやってきたこととそう変わらないので、あまり苦にならないだろうなとは思いますし、方向性や自分なりの方法を掴めれば早いかなと考えています。

 

2.上橋菜穂子的方向性

 いわゆる物語の構造を徹頭徹尾緻密に組み立てて、世界観の構築を細部に至るまで徹底させて、神話的要素を物語に織り込めば、そういう方向性になるということでした。

ちなみにゼミ教授から「上橋菜穂子さんのような作家になってください」と無茶ぶりされたのもいい思い出です。

 

ただしこの方向性を目指すならば、今持っている自分の力では多分に力不足なので、多大な量の勉強と、おそらく今後5〜10年ほどの研鑽が必要になるかと思います。

少なくとも今の私には到底無理です。

まず体力的に厳しいと云わざるを得ません。体調のコンディションに波があるので、コンスタントに地道かつ広範囲のジャンルにわたって勉強を続けながら小説を書くというのは、あまり現実的ではありません。

 

ZOOM飲みでは上橋菜穂子的方向性の方がいいのではないかと話しましたが、よくよく振り返って、自分の最近書いてきたものを顧みても、そうたやすくはないぞ、と気づかされます。

とにかく私はできるだけ最短ルートで作家になりたいので、そのためなら手段を選ばないつもりです。

 

 

個人的に考えた方向性としては

3.歴史小説

これは前にもガラシャを書きたいとこちらにも書きました。

歴史小説では資料に寄りすぎて、前にとある人に「レポートのようだ」と云われ、手痛い失敗をしているので、同じ轍を踏みたくなくて、時代モノの掌編や散文詩を何編か書いています。

kakuyomu.jp

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今書いていて、いずれおうちdeちょこ文に寄稿しようと思っている小説も時代小説です。

初稿を書き上げて校正をしているところですが、自分の持ち味の文体で書いていてとても書きやすいので、方向性としては間違っていないと思います。

 

ただ、昨年からずっと抱えていたネタにも関わらず、ここまで来てしまったので、いかんせん私の中から確固とした動機が失われつつあるのも確かで、それをどのように確かなものにしていくのかが課題だなと思っています。

 

コロナ禍のさなかでは聖書の詩篇を読むなど、キリスト教に救いを求める部分が強かったのですが、あれほど切実に聖書を求めたときの心持ちを保ちつづけるというのはなかなか難しいことです。

それは耐えがたい困難に直面しつづけるということを同時に意味しますし、私はシリアスな状況に耐えられるほど心が丈夫ではないので、その「切実さ」から離れてなお「他にどうしようもないからガラシャを書く」という動機を得られなければ、少なくとも書こうという心持ちにはなれません。

「いいネタがあるから書ける」というタイプではないのです。

 

ヒントとして、自分が女性として、あるいはキリスト教的規範を理想のひとつとして生きる上で、依然として対峙している「とある困難」をガラシャの身の上に見出すということは可能だと思うので、いずれ書くことになるかもしれませんが、せめてもう少し彼女のキャラクター像の構築には時間をかけるべきだと再考しました。

 

ただし、最も具体的なプロットに沿いやすく、またビジョンがはっきりしているのがこのガラシャという題材であることに変わりはありません。

引き続き深い思索と勉強を通じて、彼女の生涯について学び、あるいは考える機会を積極的に持っていきたいと思っています。

 

4.エンタメ異世界ファンタジー×BL小説

これは昨夜Twitterで荒ぶってしまったことなのですが、まず自分の作風を顧みろという話です。

たとえば長野まゆみ『雪花草子』は私のBL小説のバイブルなんですが、たぶんこういう作風なら書けます。

長野まゆみ幻想文学のジャンルでくくられる作家です。そういうジャンルの中でBLという関係性を描くならまだいい。 

雪花草子 (新潮文庫)

雪花草子 (新潮文庫)

 

でも完全に恋愛がメインだったり、ふたりの属性がはっきりとテンプレに分類されるようなタイプはまず書けないと思います。

自分の理想のBLの関係性はあるけれど、それはどちらかというとブロマンスに近かったり、必ずしも性愛そのものと結びつかない部分もあって、葛藤することになると思います。

性愛を否定するわけではないのですが、書くならあくまでも「耽美」というジャンルのくくりの中でしか書けないだろうなと。おそらく直接的な言葉で性愛の表現をすることは、私にとって大きな苦痛を伴うことになるというのは感じているので、これは考えなかったことにします。

 

ただ、幻想文学のジャンルでBLを書ければ、それはそれで新たな需要を開拓するということはできるかもしれません。

それはかなり限られたところにしか届かないでしょうが、少なくとも長野まゆみファンをどの読書系SNSTwitter含む)でも見かけることを考えると、需要はわずかながらでもあると云えるかもしれません。

 

 

以上、考えてみて、山尾悠子的方向性で攻める方向と、歴史小説を書くという方向で考えるのが妥当だろうなという結論に達しました。

その分必要な資料も変わってきて、給付金の使い道(本にほぼ全振りする予定)が変わってくるので、こうして慎重に将来の方向性について考えざるを得ないのですが、ひとまず両者に必要な本は買ってしまおうと思っています。