広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【ヴァニタスの系譜】発語することの困難さを描く

いろいろ迷ったのですが、抑うつ状態から抜け出すことができず、私にはこの小説を書く他ないのではないかということに思い至り、現在13000字ほど書いています。

shinchoku.net

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書いていない期間も長かったので、ずいぶんと鈍行で進んでいますが、この小説と向き合うのはそれ相応に気力体力を費やすので、淡々と進めていくのがなかなか難しくて。

 

こちらのツイートを見て、「そういえば静物画の画集を買おうと思っていたんだ」と思い出すも、コスメをポチったりしています。

静物画にまつわる思い出は大事に胸にしまっておいて、小説を書き進める糧にしたいので、ここには書きませんが、静物画に惹かれていた幼少期の頃からヴァニタスという言葉を知った今に至るまで、私にとって静物画は西洋画で唯一愛せると云っていいものです。

もともと東洋絵画や日本画の方が好みなので、西洋画の良さは今ひとつわからなくて。

バタくさいのがちょっと苦手なんですよね……。

そういうわけで展覧会によく足を運んでいた学生時代も、通っていたのはほとんどが日本美術と東洋美術の展示ばかりでした。

 

ちょっと話題がそれてしまいましたが、TLで見かけた記事が心に残ったので、この箇所について考えておきたいなと思います。

to-ti.in

気をつけたいのは社会的弱者を題材にする場合です。持ち込み原稿の中には病気や差別に苦しんでいる人(作者自身である場合も含む)を扱った作品も多いですが、その大半があまり面白くないのはテーマが欠けているからです。社会的弱者を題材にしさえすれば何がしかのことを描いたかのように作者自身が錯覚しがちで、テーマの無さに気づきづらくなるからだと思います。

社会的弱者を題材にすることは彼らを自作に利用することですから、最初から外道に片足を突っ込んでいることを忘れてはなりません。その上で正道に踏みとどまろうとするか外道を貫こうとするかは問題ではありません。問題は徹底的にやれるかどうかです。中途半端がいちばん良くない。中途半端で放り出すから安い偽善やしょぼい露悪で終わるのです。行き着くところまで行かなければならない。危険な旅路ですが、この時、テーマがあなたの針路を示す北極星となります。

社会的な弱者を描く難しさはこれまでの創作活動の中でも感じていたことですが、今回書くに至ったきっかけは、自分の大きなくくりとしての「障害」ではなく、「発語することの困難さ」という問題と向き合いたいからというのが大きな要因でした。

発達障害という障害もあるのだと思うのですが、幼少期から人にものを伝えるのがものすごく下手な人間で、幼少期はなぜか「何も云わなくても、思っていることはすべて他人に伝わっているのだ」と思っていましたし、おしゃべり好きな母のことを恥ずかしいと思うあまり、自分はあんな風にしゃべりすぎずに黙っていようと思うことが多かったです。

本を読むのが好きだったので、言葉は人並みのスピードで覚えていたはずですが、発することがどうしてもできない。緘黙までいかなくても、自分の口で自分の意見を云うということが大きな苦痛を伴いました。

今もそれはあまり変わっていなくて、肝心なときに肝心な言葉を伝えられず、もどかしい思いをすることがたくさんあります。

 

そういう「発語することの難しさ」と「理解されることの困難さ」を描かなければ、本当の意味で小説を書いたと云えないのではないかと考えたのでした。

長らくネタとして温めている小説でそうした問題と向き合うつもりだったのですが、この掌編で静物画をテーマに書いたことが「ヴァニタスの系譜」を書く直接的なきっかけになりました。

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種々の花が生けられたガラスのフラワーベースも、芳醇な香りが匂い立つような果物も、その横に描き込まれた髑髏の頭と、その眼窩からこぼれる宝玉や薔薇の類いによって貶められ、あるいは中世の装飾写本に置かれた死者の手によって弾じられた。ひからびて青ざめた手には大粒の忌まわしいホープダイヤモンドの指輪が輝いていて大いに不興を買ったし、深紅のハイヒールをしとどに濡らす潰れたラズベリーやワイルドベリーの数々とその下に踏みにじられた鴉の亡骸、その手前に描かれた陰惨なフォルムで殻をこじ開けられた胡桃と、それを歯をむき出しにして食む栗鼠の姿も、人々には受け入れがたかった。孔雀の羽が幾多も描かれた絵には、その一枚を食む真紅の唇だけが描かれて、暗黒の画面の中に浮き上がっていた。その唇にはラブレットと呼ばれるピアスが施され、鋭利で淫靡な光を宿していた。 

 こういう類いの特殊な静物画を描く人間として、「ヴァニタスの系譜」の兄を置き、彼はある固有の言葉しか用いないという設定にしました。

そういうタイプの人間は以前にも「花ざかりの地獄」に書きました。この小説では母親として登場します。

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フルートを奏でる兄はさながら小鳥のようだった。フルートの音色そのものが兄の声となって母の病み疲れた心を癒した。「私のかわいい小鳥」というのが兄に対する呼び名であって、気の触れた母は己がつけたはずの兄の本名などとうに忘れてしまっていたのだろう。僕のあだ名は「蜂蜜色のラスク」だった。ちなみに僕の肌は標準的な黄色人種の色だったし、大学生になって色素の薄い茶色に染めた髪を以ってしても、決して蜂蜜色ではなかったのだけれど。
ある昼下がりのこと、僕は病床に臥せる母のため、庭にひときわ華やぎをもたらしていたカサブランカを裁って、レースガラスの花瓶に生けた。その花瓶は父のヴェネチア土産で、子供が触れることは禁じられていたけれど、僕はその禁を破ってでも母を喜ばせてみたかった。
しかしレースガラスの花瓶に生けられたカサブランカを見た母は、
「蜂蜜色のラスク、お前は恐ろしい悪魔の子。私の愛するカサブランカの命をむしり取り、お父様の大事な花瓶に触れてしまった。私はお前のような悪魔を産んだつもりはないわ。今すぐ出て行きなさい」
とわめいたかと思うと、枕に顔を押しつけて、この世の終わりを迎えたと云わんばかりの声を放って泣くのだった。 

言葉を限定するということは、見ている世界の認識そのものが他の人間とは異なるということに他ならず、私自身も無意識のうちにある特定の気に入った言葉の選択をするうちに、 そうした世界の認識の歪みのようなものがもたらされているのだろうなと考えています。

 

その兄と暮らしている弟が主人公になるのですが、もろもろの防止のために彼についてはあまり深く書かないでおきます。

ただこの兄を書くことが困難を極めていて、はじめの段階では兄弟BL未満のブロマンスのつもりだったのですが、そういうわけにはいかないみたいです。

弟にとって理解することが叶わない兄という存在を、いかに掘り下げていくべきなのか、その手がかりはあるのですが、ここでは明かしません。

 

 たぶんここまでお読みになった方は小川洋子『ことり』のことを想起なさったと思いますが、兄弟のあり方に関しては真逆だなと思います。

ことり (朝日文庫)

ことり (朝日文庫)

  • 作者:小川洋子
  • 発売日: 2016/01/07
  • メディア: 文庫
 

 小川洋子『ことり』の兄弟が共依存的関係にあり、著者が共感的に兄を描くのに対し、私はどこまでも未知の他人としてこの「兄」を書いています。

おそらくそれは「弟」自身が感じていることに他ならないのだろうなと。

ただこのふたりが、たとえBL的関係ではないにせよ歩み寄らなければ話としてどうしようもないので、今後の展開で折り合うところまで持っていく予定です。

 

いずれにせよとても暗い話を書いています。

この話の行き着く場所は決めていますが、発表する場はまだ決めかねています。

私にとってはとても重い話なので、同人誌にできればいいかなと考えていますが、新人賞に投稿しようかなともちらっと考えています。

おそらく3~4万字ぐらいになるので、それぐらいの枚数にちょうど合うのかなと。

もちろん字数だけで投稿するというわけではありませんが、2月からずっと付き合っている小説なので、なんらかの形で世に出したいという気持ちもあります。

最後まで書き上げてみて決めても遅くはないはずなので、時間をかけて磨いていきたいです。